大阪大学 2002年度 世界史過去問

世界史

Ⅰ 次に掲げる資料は、ペルシア湾岸のシーラーフ出身の文人、アブー・ザイドが著した『シナ・インド物語 第二巻』の一節である。これを読んで、以下の設問に答えよ。

 ( A )という人物が、王家の出身ではなく、彼ら[民衆]のあいだから起って旗揚げした。この男は、はじめ狡智と義侠心で世に認められ、やがて武器をとり、掠奪を行ない、多くの不逞の徒が彼らのまわりに集まってきた。ついに彼の勢力は強大となり、その数は増加した。このようにして、彼の野望は強く広がり、あまたあるシナの町のなかで、ハーンフーに進撃するようになった。ハーンフーは、アラブ商人たちが赴く町で、海から数日の距離に位置し、大河の岸にある。そこで、その水は淡水である。町の住民は抵抗したので、この男は長期間この町の住民を包囲攻撃した。この事件はヒジュラ暦(ヒジュラを元年とする暦)二六四年に起ったことである。

(藤本勝次訳『シナ・インド物語』関西大学出版広報部、一九七六年、三三頁より)

問一
 ( A )とは誰のことか。その人物の名を答えよ。

問二
 唐代随一の貿易港だったハーンフーには、対外海上交易を管理する機関が置かれたが、それは何か。またこの機関は、事件後も七〇〇年あまり存続するが、この間、ハーンフー以外にも置かれるようになった。それはどこか。ハーンフー以外に、二つあげよ(漢字で解答すること)。
『機関名は解答欄のうち上側の枠に、二つの地名は下側の枠にそれぞれ記入すること。』

問三
 問二の機関が設置されていた時代、中国の海上交易に対する政策は、どのように推移したか。当時の海上交易の状況と併せて述べよ(二〇〇字程度)。

問四
 中国とイスラム圏とを結ぶ海上交易ルートは、中国南辺からマラッカ海峡を経てインド洋に入ったのち、インド付近で二つに分かれる。一つは、ペルシア湾からイラクに達するペルシア湾ルートであり、一つは、紅海から据えず地域にいたる紅海ルートである。これらのルートの盛衰について、イスラム世界の政治状況と併せて述べよ(一〇〇字程度)。

問五
 この事件の後、中国は大きな政治的分裂期を迎えるが、イスラム世界においても同様に「イスラム帝国」の時代から、ムスリム諸国家の分立の時代となった。しかしこの分立の時代に、イスラム世界は、アフガニスタンからインドおよび東トルキスタンと拡大してゆく。この東方への拡大について述べよ(一六〇字程度)。

Ⅱ 五世紀初めから一五世紀末までのイベリア半島における諸国家の興亡を簡潔に説明せよ。ただし、重要な出来事については可能な限り年代を示すこと(二五〇字程度)。

Ⅲ 大西洋をはさんで、一八世紀末のヨーロッパとアメリカは大きな変動の時代を迎えた。イギリスのアメリカ植民地は独立戦争を戦い、大西洋の両側で展開された一連の革命の始まりとなった。他方、イギリスでは、人類の生活を一変させることになる産業革命が進行していた。この両地域に関する以下の問いに答えよ。

問一
 ヨーロッパの国でアメリカ植民地河に立って参戦した国はどこか、一国の名前をあげよ。

問二
 アメリカの独立やフランス革命の影響を受けて独立した、西インド諸島の元フランス植民地は何という国か。

問三
 産業革命では、紡績や織布における技術革新、蒸気機関の改良や鉄鋼業における新たな発明など、産業技術上の革命が進展したが、同時に社会構造上の大きな変動も起った。この社会構造上の変動について、人口移動や社会階層に焦点を当てて述べよ(一二〇字程度)。

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