京都大学2006-3
ベルギーの中世史家アンリ・ピレンヌは、古代の統一的な地中海世界が商業交易に支えられて、8世紀まで存続したと考えた。しかしこの地中海をとりまく地域の政治状況は、8世紀以前、古代末期から中世初期にかけて大きく変化した。紀元4世紀から8世紀に至る地中海地域の政治的変化について、その統一と分裂に重点を置き、300字以内で説明せよ。解答は所定の解答欄に記入せよ。句読点も字数に含めよ。
解説
第1回で少し触れたアンリ・ピレンヌが問題文中に登場しています。誰だ?と思う人は第1回の解説を見てください。
歴史における中世の概念は単純に捉えることができません。
例えば、日本史における中世とは一般に院政期頃から江戸開幕までの12世紀から16世紀頃を指します。
一方、ヨーロッパでは古代ローマ帝国の滅亡から封建制の崩壊までを中世とすることが多く、5世紀から15世紀辺りを指すことが多いです。
今挙げた中世の概念はあくまで「政治制度・社会制度」に着目して、中世封建制度と言われる土地と領主層の階層社会を区分の目安としています。
そこに一石を投じたのがアンリ・ピレンヌというわけです。第1回の解説でも触れましたが、彼はヨーロッパとイスラーム世界の関連を指摘しています。単にヨーロッパだけを見るのではなく、なぜヨーロッパという地域が形成されたのかを研究したわけです。その過程で、古代ローマ帝国の滅亡が必ずしも中世が幕を開けるきっかけではないと彼は考えます。
問題文にあるように、中世以前の古代は、8世紀まで続いたと考えているのです。では一般的に中世の始まりとされる古代ローマ帝国の滅亡からピレンヌの言う中世が始まる8世紀の間に何が起こっていたのかを論述させるのがこの問題です。
論述ポイント1
ピレンヌは古代の商業的なつながりが古代ローマ帝国の滅亡以降も続いたと考えています。
商人にとって帝国の東西分裂は影響がなく、8世紀に至るまでそのあり方は大きく変わらなかったと読み取ることができます。
今回の問いは政治的変化を述べさせるものですから、商業について書くことはありません。しかし、問題文で商業について触れられているのですから、一切無視するのは危険でしょう。商業が変化するきっかけが政治的変化なのだと考えるのが妥当です。
結論から言ってしまえば、中世の政治システムが構築されたことで、地中海を自由に行き来していた商人たちが分断され、物流が一本化されたということです。
論述ポイント2
こういった商業の変化を念頭に置きつつ、統一、分裂を軸に政治的変化を論じていきます。
指定された年代は4~8世紀、地域は地中海世界です。地中海世界ということで、ヨーロッパだけでなく、中東から北アフリカにかけても範囲に入ります。むしろイスラーム世界を範囲に含めないと問いの意味があまりないでしょう。
まず全地域に共通する概念から入ります。395年の古代ローマ帝国の東西分裂までは統一されていたことは地中海全域に言えることです。
西ヨーロッパに限ると、東西分裂以降、ゲルマン人の侵入に伴い、476年にオドアケルが西ローマ帝国を乗っ取り、ゲルマン諸国家の興亡が続きます。各地で王国が立ち並ぶ分裂状態が5世紀以降の情勢です。
800年のカールの戴冠で一応のローマ帝国復活とされますが、当時のフランク王国を見ても、一つの王権が統一を果たしたとは言いがたいでしょう。
隣国の東ローマ帝国は、東西分裂以後、ユスティニアヌス大帝の活躍で地中海帝国復活を目指しますが、統一とまではいかず、ササン朝やイスラーム勢力の攻勢によって領土を縮小します。
とはいえ、コンスタンティノープル教会と連携を強め、強力な皇帝権力のもと15世紀まで帝国が存続したわけですから、統一的な政治権力を有したと言っていいでしょう。
一方、中東から北アフリカにかけてはイスラーム勢力の台頭が目立ちます。
北アフリカにはゲルマン人国家もできますが、最終的にイスラーム王朝であるウマイヤ朝が支配します。ウマイヤ朝の版図は第3回でやりましたね。
地中海の南側をイベリア半島まで支配したことを再度確認しておいてください。732年トゥール・ポワティエ間の戦いがキーポイントでしたね。
まとめ
これらの変化を西ヨーロッパ、東ヨーロッパ、イスラーム世界のそれぞれで100字前後でまとめないといけません。そこまでたくさん書けませんから、要素を吟味して、過不足のない解答を目指しましょう。
第8回に続きます。