世界史論述対策 第5回 【筑波大学2003年度-2】

世界史
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筑波大学2003年度-2

 紀元前17世紀から紀元前12世紀にかけてのエジプトとシリア地方との関係について、以下の語句を用いて述べなさい。(400字)

テル=エル=アマルナ  戦車と馬  アメンホテプ4世  「海の民」  ヒクソス

解説

 この問題は指定されている年代が独特で、紀元前17~12世紀といまいちピンとこない年代です。

 地域はエジプトとシリアですから、古代オリエントかと分かってくれればそれでいいでしょう。

 古代オリエントのみを論述させる問題はそう多くはありませんが、通史を学ぶ上で多くの人が最初に学ぶ古代オリエントをないがしろにはできません。また、古代オリエントは遺跡がよくセンター試験で出題されていました。今後、共通テストでどう変わるかわかりませんが、軽視はできないでしょう。

 二次試験でも、東大の第3問でも人名・地名が問われることはままありますから、記憶が怪しいという人は、今一度確認しておいてください。

論述ポイント1

 さて、問題を読み解いていきましょう。

 紀元前17~12世紀ということで、これはヒッタイト王国の成立期と重なります。

 しかし、エジプトとシリア地域の関係ですので、ヒッタイトの歴史を書くわけではありません。ヒッタイトのことも最後に書きますが、エジプトに軸足は置いておかなければならないのです。

 では紀元前17世紀のエジプトはどのような時代なのでしょうか。

 それは中王国の断絶後にあたります。

 ヒッタイトを初めとするインド=ヨーロッパ語族がカフカス山脈を越えて、メソポタミアへ入ってきます。それに押し出されるようにセム語系の民族が各地に散らばっていきます。

 その中でシナイ半島を越えて、エジプトに侵入したのがヒクソスです。

 彼らは戦車と馬を用いて強大な軍事力を有していました。ヒッタイトとの違いはを使用したか否かです。ヒッタイトの鉄の製錬技術は国家機密でしたから、そう簡単には広がりません。鉄がオリエントに広がるのはヒッタイト滅亡後のことです。

 ヒクソスの侵入でエジプト中王国は途絶え、王朝が途絶えます。シリア方面からの侵略者によってエジプトの王朝が被害を受けたのです。

 その後、エジプトの王族は神官たちの力を借り、ヒクソス撃退に成功します。この時、エジプト全土の所有権をテーベの神アモンに捧げることを誓ったので、アモンを祀る神官が王を凌ぐ程の富と権力を手にします。

 この神官たちの強大化を疎ましく思ったのがアメンホテプ4世です。テーベの神官たちの権力を削ぐために、テル=エル=アマルナへの遷都とアトン神への信仰を強制します。一説にはこの時の唯一神信仰がヤハウェを信仰するユダヤ教などのアブラハムの宗教につながったともいわれます。

 何はともあれ、神官と決別し、新都での王政を進めたアメンホテプ4世改めイクナートンですが、その改革も一代限りで、息子ツタンカーメンの時代には再びアモン神のお膝元であるテーベに帰っています。

 この改革の是非をどうとるかは個々人にお任せしますが、俯瞰的に見た場合、イクナートンの宗教改革はエジプトの政局に混乱をもたらしたと言えます。一種の均衡状態を乱したわけですから、国民にとってよかったかどうかはわかりません。良かれ悪しかれ変化が起こると歴史に残るということを表していますね。

論述ポイント2

 テーベに戻ったエジプト王家はラメセス2世の時代に大いに栄えます。旧約聖書にも書かれていますが、イスラエルの人々がエジプトにやってきています。旧約聖書では神を信じなかった罰として彼らはエジプトで奴隷となりますが、実際は人口増加により移住せざるを得なかったイスラエル人がエジプトで重労働に使役していたというところでしょう。

 ラメセス2世時代、エジプト新王国は対外進出を加速させます。入ってくる一方だったシナイ半島に攻めていったのです。エジプト軍は東地中海地域へ攻め込み、シリアまで進みます。

 その際、小アジアから南下してきたヒッタイトと衝突します。紀元前1286年のカデシュの戦いです。最古の和平条約が結ばれたとされる戦いですが、エジプトがアフリカ大陸を出て、東北に大きく進出したのを象徴する戦いです。

 この戦いは和平が結ばれているように、どちらかが滅びたような全面戦争ではありません。両者妥協の末、勢力を保ったまま戦いを終えています。

 そのエジプト・ヒッタイト両者が居つく東地中海に素性不明の「海の民」が現れます。おそらく海賊行為を行っていた海洋民族であろうと思われますが、実体はよくわかっていません。ギリシア方面でも暴れ回り、ミケーネ文明を滅ぼしたとも言われています。

 彼らの侵入によってヒッタイトは滅び、エジプトは勢力を撤退させます。この空白の地に落ち着いたのがアラム・フェニキア・ヘブライのセム語系三民族です。

 「海の民」以来、エジプトは西アジアとの関わりを断っていましたが、アッシリアの進出で再びオリエント世界に引きずり込まれます。しかし、これは紀元前8~7世紀のことですから、この問題の指定からは外れています。

まとめ

 では改めてエジプト目線でシリア地方との関係をまとめましょう。

  1. シリア方面からのヒクソスの侵入によって、中王国が断絶した。
  2. ヒクソス撃退のための政策からイクナートンの宗教改革が起こった。
  3. ラメセス2世が方面に攻め込み、ヒッタイトと戦った。
  4. 「海の民」の攻撃によってシリア方面から撤退した。

 簡潔に整理するならこうなるでしょうか。上に書いた内容に指定語句も含まれていますので、それに沿って400字に合うようにまとめていきましょう。

 補足として、この問題の意図を考えると、地政学的に外敵の侵入の恐れが少ないエジプトではあるものの、歴史を見るとオリエント世界に組み込まれていることがよくわかります。ハム語系王朝が30余り続くエジプトの中で特に外界と隔てられていた期間がアッシリア以前だということなのでしょう。

 とかく世界史においてエジプトはキーポイントとなる地域です。各国史を見ていくならエジプトは外せません。近現代においてもナポレオンからイギリス統治時代、中東戦争と話題に事欠かないのがエジプトです。近年ではムバラク大統領の独裁が終わり、アラブの春の一翼を担ったことでも知られています。僕もいつか訪れたい国の一つですね。




第6回に続きます。

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