一橋大学1999-1
8世紀後半から11世紀にかけて、ノルマン人の活動はヨーロッパ全体に大きな影響を及ぼしたが、とりわけイングランド初期の歴史には密接な関わりを持っている。9世紀初めから11世紀までのイングランドの王朝の変遷を、次の語句を用いて説明するとともに、それが11世紀以降に及ぼした政治的影響について述べなさい。(400字以内)
七王国(ヘプターキー) ロロ ヘースティングズの戦い
解説
ノルマン人とイングランド王朝の関係がテーマの問題です。
指定されている年代は9~11世紀のおよそ300年間。一橋では珍しく、指定語句があります。
といっても3つだけですので、これが大きなヒントになるわけではないですね。単にイングランド王朝の変遷を書くだけでなく、11世紀以降の政治への影響も書かなければいけません。
政治への影響をどれだけ詳しく書くかにもよりますが、おおよそ変遷で300字弱、政治への影響で100字強と思っておけばいいでしょう。変遷については多少丁寧に書かなければ字数が足らないと意識して構想メモをつくりましょう。
論述ポイント1
では、イングランドの歴史を概観します。
9世紀初めは七王国の統一がなされた時代です。その後、ノルマン人の侵入を経て、ノルマン朝が建つわけですが、その間の出来事を詳しく書きましょう。
ヘプタ-キーとは、北方ゲルマン人のアングロ人とサクソン人が大陸から海を渡り、原住ケルト人やラテン人を押しのけ、建国された国です。
センター・共通テストレベルでは出題されませんが、七つの王国のうちの一つウェセックスの王エグバートが統一し、イングランド王国を建てます。イングランドという言葉もアングロの土地というところから来ており、この時は完全にゲルマン人国家になっています。
エグバートが統一を果たした後、ここにノルマン人が侵入してきます。ノルマン人は現在の北欧諸国、バルト海沿岸に住む人々で、交易や略奪を繰り返しながら南下します。
すでにゲルマン人国家が作られていたヨーロッパ諸国の沿岸部に続々とノルマン人が上陸します。島国イングランドも例外ではなく、ノルマン人の上陸を許します。
イングランドに上陸したノルマン人はユトランド半島からやってきたデーン人と呼ばれる人々で、グレートブリテン島の各地に侵入します。
ここで注意してもらいたいのが、イングランドといえど、グレートブリテン島の全土を指すわけではないということです。あくまで、アングロ人・サクソン人が支配した領域だけをイングランドと呼ぶので、島の北方や西方はイングランド王国には属しません。
これは文字だけでは伝わらないところもあるので、資料集を是非みてください。タペストリーでは140ページに当時のイングランドの支配地が載っています。チェックしておいてください。
さて、デーン人が侵入した当時のイングランド王はアルフレッド大王というエグバートの孫に当たる人物で、「大王」と呼ばれるくらいですから、大きな功績を残した人物であるということがわかります。その功績とは、デーン人の撃退です。アルフレッド大王の時代はアングロサクソンによる王朝が存続していました。
しかし、11世紀に入り、デンマーク王クヌートの侵攻でイングランド王国はデーン人の国となります。この時期をデーン朝と呼びますが、この王朝はクヌート一代で終わります。
デーン朝の滅亡後、再びウェセックス王家(アングロサクソン系)が王位に就きます。ところが、今度はすでにフランス西北部、コタンタン半島を支配していたノルマンディー公が軍隊を差し向けました。ノルマンディー公国は10世紀前半に首長ロロが西フランク王国から割譲された国で、西フランク王の支配下にありました。
その子孫であるノルマンディー公ウィリアムが海を渡り、イングランドを攻撃したのです。時は1066年、ハイレベルを目指すならば覚えておきたい年号です。イングランド側からはノルマン=コンクェストと呼ばれる重大事件で、イギリス史上最大にして唯一の本土での征服戦争だと言えるかもしれません。ノルマン軍とアングロサクソン軍が衝突した戦いをヘースティングズの戦いといい、この戦いの結果ノルマン朝が築かれます。
ノルマン朝がイングランドに与えた影響は大きく、この問題では直接関係ありませんが、それまで使われていた古英語(オールド=イングリッシュ)がフランス語と混じり、中英語(ミドル=イングリッシュ)へと変化しました。貴族階級はフランス語を常用し、庶民階級は英語を使用することで大きな言語変化を遂げます。貴族と庶民の分化がその後のイギリス社会を形作ります。
ひとまず、ここまででイングランド王朝の変遷は事足りているはずです。ヘプタ-キーの統一からノルマン朝の成立までのおおよそ300年間を時系列に沿ってまとめましょう。
論述ポイント2
次に、11世紀以降の政治への影響を考えます。
ノルマン朝が成立したことでイングランドと西フランク王国の間に歪んだ上下構造ができあがります。西フランク王支配下にあったノルマンディー公がイングランドの王となったことで、本来対等であるはずの西フランク王とイングランド王に上下の関係が生じます。
さらに、ノルマン朝が断絶したあとにイングランド王を継いだのがアンジュー伯アンリで、プランタジネット朝が成立します(1154年)。
アンジュー伯はフランスとイングランドの両方に広大な領土を持ち、フランス王家との争いをくり広げます。プランタジネット朝の王としては第3回十字軍に参加した英雄リチャード1世(獅子心王)やインノケンティウス3世に破門され、フランスでの領地を失った失地王ジョンなどがいます。
しかし、ノルマン朝の政治的影響というには少し遠いですね。この辺りのところまで理解した上で、複雑な英仏関係までを解答に入れましょう。
国内に目を向けると、ノルマン朝の成立で封建制がイングランドに導入されます。
貴族として支配階級になったノルマン・フランス系の人々は、大陸ですでに導入されていた封建制をイングランドの土地支配にも適用します。その際、大陸の従士制と恩貸地制から発展した双務的封建制に比べ、王権が強い封建制となっています。これはノルマン朝という征服王朝が為せる技ですから、大陸では王権が強いわけではありません。
以上のことを全体で400字になるようにまとめます。自分で解答を作ってみましょう。
第7回に続きます。



