第1問
私たちは、情報革命の時代に生きており、世界の一体化は、ますます急速に進行している。人や物がひんぱんに往きかうだけでなく、情報はほとんど瞬時に全世界へ伝えられる。この背後には、運輸・通信技術の飛躍的な進歩があると言えよう。
歴史を振り返ると、運輸・通信手段の新展開が、大きな役割を果たした例は少なくない。特に、19世紀半ばから20世紀初頭にかけて、有線・無線の電信、電話、写真機、映画などの実用化がもたらされ、視聴覚メディアの革命も起こった。またこれらの技術革新は、欧米諸国がアジア・アフリカに侵略の手を伸ばしていく背景としても注目される。例えばロイター通信社は、世界の情報をイギリスに集め、大英帝国の海外発展を支えることになった。一方で、世界中で共有される情報や、交通手段の発展によって加速された人の移動は、各地の民族意識を刺激する要因ともなった。
運輸・通信手段の発展が、アジア・アフリカの植民地化をうながし、各地の民族意識を高めたことについて、下記の9つの語句を必ず1回は用いながら、解答欄(イ)を用いて17行以内で論述しなさい。
スエズ運河 汽船 バグダード鉄道
モールス信号 マルコーニ 義和団
日露戦争 イラン立憲革命 ガンディー
第2問
人類は、その初期から現代にいたるまでの長い歴史において、先行して存在した多様な文化を摂取、継承したうえで、新たな文化を創造し、次の世代へと伝えてきた。このことに関連する以下の設問(1)~(10)に答えよ。解答は解答欄(ロ)を用い、設問ごとに行を改め、冒頭に(1)~(10)の番号を付して記せ。
(A)ヨーロッパ人は、古代ギリシア・ローマの文化をヨーロッパ文化の源流のひとつとみなし、それを古典古代と呼んだ。ギリシアとローマの思想、文化を後のヨーロッパが受容していったことに関連する以下の問いに答えよ。
問(1)カロリング朝のフランク王国では、各地から学識ある聖職者が宮廷に招かれ、ラテン語文化が復興した。そのさい、聖書などの写本作成に尽力したイギリス出身の人物の名と、彼を宮廷に招いた王の名を記せ。
問(2)平面幾何学を大成させたエウクレイデス(ユークリッド)が、研究活動を行った都市名を記せ。また彼の著作が、アラビア語訳からラテン語に翻訳されたのは、何世紀か。
問(3)西欧中世の学問は、アラビア語やギリシア語からラテン語への翻訳活動により飛躍的に発展した。古代の哲学者[ 〔1〕 ]の論理学や自然学の著作の翻訳は、西欧に大きな影響を与え、また彼の著作を注釈したコルドバ生まれの哲学者[ 〔2〕 ]の著作の翻訳も、西欧の学問を発展させた。文中の[ 〔1〕 ]、[ 〔2〕 ]に入る人物の名を記せ。
問(4)ルネサンス期のイタリアでは、古代の建築を模倣した教会が多く建てられた。そうした教会建築のうち、フィレンツェで建てられた大聖堂の名と、そのドームを設計した建築家の名を記せ。
問(5)イタリア戦争はルネサンス期に半世紀以上にわたってくりひろげられた。この戦争の誘因となったイタリアの政治状況について2行以内で記せ。
問(6)ドイツ生まれのある考古学者は、少年時代に愛読した叙事詩中の出来事が史実を反映していると信じて、小アジアのトロヤ(トロイア)を発掘した。この考古学者の名と叙事詩の作者の名を記せ。
(B)インドと中国は、古代以来相互に影響をあたえつつ独自の文化をはぐくみ、日本を含む周囲の地域に大きな影響を残してきた。このことに関連する以下の問いに答えよ。
問(7)儒教は古代中国におこり、東アジアで広く研究されてきた思想である。漢王朝のときに国教としての地位を築き、宋王朝のときに新しい体系化がなされた。この体系化のさきがけをなした北宋の思想家で、南宋の思想家に影響を与えた人物を一人あげよ。また、この新しい儒教は、その後中国でどのように扱われたか、一行以内でまとめよ。
問(8)道教は、仏教に刺激され、民間信仰と神仙思想に古来の[ 〔1〕 ]思想を取り込んでできた宗教である。この思想が説いた内容は、漢字4字で[ 〔2〕 ]と表現できる。
文中の[ 〔1〕 ]、[ 〔2〕 ]に入る語句を記せ。
問(9)グプタ朝時代のインドは、古典文化の黄金期で、サンスクリット文学が栄えた。この時代の王チャンドラグプタ2世の宮廷詩人で、戯曲「シャクンタラー」を残した作者の名をあげよ。また、このころ完成した叙事詩の名前を一つだけあげよ。
問(10)7世紀に入ると、チベットに古代統一王朝が現れた。この王朝の下で、後世に残されるこの地域の文字がはじめて作られ、新たに取り入れた仏教と固有の民間信仰とを融合させた独自の宗教が生まれた。この統一王朝を中国の史書では何と称したか。その名称を漢字で記せ。
第3問
近世から19世紀までに人類は、産業革命とならんで、海上や陸上の交通手段の飛躍的な発展を体験した。その発展は、人や物の大規模な移動をひき起し、世界各地の人びとの暮らしに大きな影響を与えた。しかし交通手段の発展は、その支配をめぐって国際紛争をひきおこす原因ともなった。そこで以下の設問(1)~(10)に答えよ。解答は、解答欄(ハ)を用い、設問ごとに行を改め、冒頭に(1)~(10)の番号を付して記せ。
問(1)近代以前にあっては航海術の水準は、ヨーロッパもアジアもさほどの違いはなかった。すでに15世紀の明代中国は、インド洋を越えてアフリカ東海岸まで進出するほどの航海術や造船技術を持っていた。その時代に大艦隊を率いて大遠征をおこなった中国の人物の名を記せ。
問(2)モンゴル帝国では、首都から発する幹線道路沿いに約10里間隔で駅が設けられ、駅周辺の住民に対して、往来する官吏や使臣への馬や食料の供給が義務づけられていた。この制度によって帝国内の交通は盛んになり、東西文化の交流も促された。この制度の名称を記せ。
問(3)1498年に喜望峰を回航したバスコ・ダ・ガマ船団を迎えたのは、マリンディ、モンバサなど、東アフリカの繁栄する商港群であった。それらはインド洋・アラビア海・紅海にまたがって広がるムスリム商人の海上貿易網の西の末端をなしていた。これらムスリム商人が使っていた帆船の名を記せ。
問(4)18~19世紀は「運河時代」と呼ばれるように、西ヨーロッパ各地で多くの運河が開削され、19世紀の鉄道時代の開幕まで産業の基礎をなした。ブリッジウォーター運河が、最初の近代的な運河である。それは、イギリス産業革命を代表するある都市へ石炭を運搬するために開削された。その都市の名称を記せ。
問(5)1807年に、北米のハドソン川の定期商船として、世界で初めて商業用旅客輸送汽船が建造された。これを建造した人物の名を記せ。また1819年に、補助的ではあったが蒸気機関を用いてはじめて大西洋横断に成功した船舶の名称を記せ。
問(6)1869年に開通した大陸横断鉄道を正しく示しているのは、図の(a)~(e)のどれか。1つを選び、その記号を記せ。

問(7)1883年10月4日にパリを始発駅として運行を開始したオリエント急行は、ヨーロッパ最初の国際列車であり、近代のツーリズムの幕開けを告げた。他方で、終着駅のある国にとっては、その開通はきびしい外圧に苦しむ旧体制が採用した欧化政策の一環であった。オリエント急行の運行開始時のこの国の元首の名と、終着駅のある都市の名を記せ。
問(8)アジア地域における大量交通手段は、欧米から技術と資本を導入して建設されることになり、そのためしばしば欧米列強の内政干渉の口実と、経済支配の手段にもなった。欧米列強が清朝末期に獲得した交通手段に関係する権利を一つ、その名称を記せ。
問(9)1891年に始まったシベリア鉄道の建設は、日露戦争のさなかの1905年に終った。このシベリア鉄道の起点をウラルのチェリャビンスクとすると、終点のある都市はどこか。その名称を記せ。
問(10)ロンドンの地下鉄は1863年に開通したが、蒸気機関を使っていたためにその経路は地表すれすれの浅い路線に限られていた。1890年に画期的な新技術が採用され、テムズ川の川底を横切る新路線が開通した。ひきつづき同じ技術を用いてパリに1900年、ベルリンに1902年、ニューヨークに1904年にそれぞれ地下鉄が設けられた。その画期的な新技術とは何か。その名称を記せ。