第1問
世界の都市を旅すると、東南アジアに限らず、オセアニアや南北アメリカ、ヨーロッパなど、至る所にチャイナ・タウンがあることに驚かされる。その起源を探ると、東南アジアの場合には、すでに宋から明の時代に、各地に中国出身者の集住する港が形成され始めていた。しかし、中国から海外への移住者が急増したのは、19世紀になってからであった。その際、各地に移住した中国人は低賃金の労働者として酷使されたり、ヨーロッパ系の移住者と競合して激しい排斥運動に直面したりした。たとえば、米国の場合、1882年には新たな中国人移民の流入を禁止する法律が制定された。米国がこのような中国人排斥法を廃止したのは第二次世界大戦中のことであり、大戦後にはふたたび中国からの移住者が増加した。
上述のような経緯の中で、19世紀から20世紀はじめに中国からの移民が南北アメリカや東南アジアで急増した背景には、どのような事情があったと考えられるか、また海外に移住した人々が中国本国の政治的な動きにどのような影響を与えたか、これらの点について、解答欄(イ)を用いて15行以内で述べよ。なお、以下に示した語句を一度は用い、使用した場所に必ず下線を付せ。
植民地奴隷制の廃止 サトウキビ・プランテーション
ゴールド・ラッシュ 海禁 アヘン戦争
海峡植民地 利権回収運動 孫文
第2問
次に述べるX、Y、Zは、19世紀以降まで数世紀にわたり存続したアジアの大王朝である。これらの王朝には、独自性と共通性がみられたが、それらに関し、以下の(1)~(12)の設問をよく読み、各設問に答えよ。解答は、解答欄(ロ)を用い、設問ごとに行を改め、冒頭に(1)~(12)の番号を付して記せ。
(A)各王朝は、それぞれ本拠地を移動させながら、形成され発展した。
問(1)Xの本拠地について、移動前と移動後の地点を地図中の記号から選び、ア→イのように記せ。
問(2)Yは、16世紀前半に前王朝をこの地の戦いで撃破し、自己の王朝を創始した。その戦いの地の位置を地図中の記号で示せ。
問(3)Zが崩壊した後に、Zの支配民族は共和国をつくった。Zの首都の位置と新たな共和国の首都の位置を、地図上の記号でア→イのように記せ。
(B)各王朝は、被支配者の信仰や宗教や慣習について、時には融和策で、時には弾圧策で臨んだ。
問(4)Xは、反抗する思想の統制と並行して、大叢書を編集した。その叢書の名前を記せ。
問(5)Yは、16~17世紀の間に宗教政策を大きく変えた。その変化を、関係する二人の皇帝の名を用い、3行以内で説明せよ。
問(6)Zには、異教徒処遇の制度があった。その通称を記し、特徴を、2行以内で説明せよ。
(C)3王朝には、それぞれ少数民族が広大な領域を支配するという共通性があった。
問(7)Xは、自己の軍事組織を支配地域に拡大した。それら軍事組織の構成員に対して与えられた土地の名称を記せ。
問(8)YとZには、それぞれジャーギール制、ティマール制と呼ばれる類似の制度がみられた。両者の共通の特徴を2行以内で記せ。
(D)各王朝には、支配に反抗する動きが見られた。
問(9)Xの統治の初期に、大きな反乱が生じた。この反乱の名称の由来となった地域を、すべて地図中の記号から選んで記せ。
問(10)Yの統治に対して、17世紀後半に強く抵抗した王国があった。その本拠地の位置を、地図中の記号で示せ。
問(11)Zの支配下では、18世紀に宗教的復古主義を唱える宗派が王国建設運動をおこした。その運動の中心地を、地図中の記号で示せ。
問(12)これらの動きの対象となった3つの王朝名を、それぞれにX、Y、Zの記号を付して記せ。

第3問
文明は都市の誕生とともに始まったといわれる。人間の歴史上に花開いた文明が多様であるように、都市もまた地域や時代によって様々な形態や機能をもち、変貌し続けている。都市に関する以下の設問(1)~(10)に答えよ。解答は、解答欄(ハ)を用い、設問ごとに行を改め、冒頭に(1)~(10)の番号を付して記せ。
問(1)広大なローマ帝国内には多くの都市が建設された。それらの都市のなかには、今日まで栄えているものも少なくない。以下の(a)~(d)の文章の中から、起源がローマ帝国の時代に遡る都市について書いたものを2つ選んで、その記号と都市名をそれぞれ記せ。
(a)サン=バルテルミ祭日に、多くの新教徒がこの都市で殺された。
(b)ナポレオンは、この都市で大陸封鎖令を発した。
(c)第一回オリンピック大会が、この都市で開催された。
(d)ムハンマド=アリーは、この都市で開かれた会議でエジプト総督の地位の世襲を認められた。
問(2)右の地図上の記号カはシラクサ、クはミレトスを示しており、いずれも古代ギリシア人が建設した都市であった。同じく古代ギリシア人が建設した都市を2つ、地図上の記号ア~コ(カとクを除く)の中から選び、その記号と都市名をそれぞれ記せ。

問(3)歴史上、首都の名称がそのまま国名として通用している例は少なくない。3世紀にローマの勢力が後退した機をとらえて、紅海からインド洋へかけての通商路を掌握して発展したアフリカの国(a)もその1つである。(a)の商人は、同じくインド洋で活動していたアジアの国(b)の商人と、インドの物産や中国から運ばれてくる絹の購入を巡って競い合った。この2つの国の首都の名称を、それぞれ(a)(b)の記号を付して記せ。
問(4)図版Aに示したのは、10世紀に創建されたマドラサから発展した大学である。この大学が所在する都市名(a)と、これに対抗する形で東方各地の都市に設立されたマドラサの名称(b)を、それぞれ(a)(b)の記号を付して記せ。
問(5)西ヨーロッパでは、9世紀後半から10世紀前半まで都市城壁の建設や再建が活発に行われた。この時代に北西ヨーロッパの諸集落を襲い、城壁建設を促す要因をつくった人々の呼称(a)と、彼らが北西ヨーロッパにつくった国の名称(b)を、それぞれ(a)(b)を付して記せ。
問(6)西ヨーロッパでは、中世盛期以降多くの都市に大学が創設された。このうち、当初から学生団体が大学運営の主体となった先駆的な大学がおかれたイタリアの都市名(a)と、この自治的な学生団体の呼称(b)を、それぞれ(a)(b)を付して記せ。
問(7)図版Bは16世紀の城壁をもった都市を示している。このような突き出た稜堡(りょうほう)をもった城壁は、16世紀以降さかんにつくられた。戦術を一変させ、こうした城壁をつくらせた理由はなにか。10字以内で答えよ。
問(8) 図版Cの都市は、地中海沿岸の潟湖(ラグーナ)の島上にある。中世後期に東方と西方を結ぶ商業港として栄えたこの都市の名称を記せ。また当時から今日まで、この都市の特産品として有名なのは次のどれか。1つを選び、その記号を記せ。
a 刀剣類 b 毛織絨毯(じゅうたん) c 加工ダイヤモンド d ガラス工芸品 e 手描き更紗(さらさ)
問(9)宗教改革の一大拠点となり、「プロテスタントのローマ」と呼ばれたレマン湖畔の都市名を記せ。またこの都市出身で、自然を重んじ文明化を批判した啓蒙思想家の名を記せ。
問(10)次の表は、1750年ごろの都市人口を推定し、当時のヨーロッパ七大都市を示したものである。このうち(a)は商業・金融の中心として知られ、また(b)は16世紀と17世紀に、2度にわたり包囲された歴史をもつ。それぞれの都市名を、(a)(b)を付して記せ。
順位 都市名 推定人口
1 ロンドン 675000
2 パ リ 570000
3 ナポリ 339000
4 (a) 210000
5 リスボン 185000
6 (b) 175000
7 マドリード 160000