東京大学 2004年度 世界史過去問

世界史

第1問

 1985年のプラザ合意後、金融の国際化が著しく進んでいる。1997年のアジア金融危機が示しているように、現在では一国の経済は世界経済の変動と直結している。世界経済の一体化は16,17世紀に大量の銀が世界市場に供給されたことに始まる。19世紀には植民地のネットワークを通じて、銀行制度が世界化し、近代国際金融制度が始まった。19世紀に西欧諸国が金本位制に移行するなかで、東アジアでは依然として銀貨が国際交易の基軸貨幣であった。この東アジア国際交易体制は、1930年代に、中国が最終的に流通を禁止するまで続いた。

 以上を念頭におきながら、16-18世紀における銀を中心とした世界経済の一体化の流れを概観せよ。解答は、解答欄(イ)を使用して、16行以内とし、下記の8つの語句を必ず1回は用いたうえで、その語句に下線を付せ。なお、(  )内の語句は記入しなくてもよい。

 グーツヘルシャフト(農場領主制), 一条鞭法, 価格革命, 綿織物
 日本銀, 東インド会社, ポトシ, アントウェルペン(アントワープ)

第2問

 地中海東岸からアラビア半島にかけての地域で、ユダヤ教、キリスト教、イスラーム教という3つの一神教が誕生した。これらの宗教と西アジア・地中海沿岸地域の国家や社会は、密接な関わりを持った。このことに関連する以下の3つの問いに答えよ。解答は、解答欄(ロ)を用い、設問ごとに行を改め、冒頭に(1)~(3)の番号を付して記せ。

問(1)新王国時代のエジプトから、ヘブライの民とよばれる人々は、モーセに率いられて脱出し、やがてパレスティナに定住の地を見出したという。前10世紀頃、ソロモン王の時代には栄華をきわめた。その後の数百年の間に、ヘブライ人は独自のユダヤ教を築きあげた。その成立過程について、彼らの王国の盛衰との関わりを考慮しながら、4行以内で説明せよ。

問(2)キリスト教世界は8世紀から11世紀にかけて東西の教会に二分された。その2つの教会のいずれか一方と関わりの深いビザンツ帝国と神聖ローマ帝国とでは、皇帝と教会指導者との関係が大きく異なっている。11世紀後半を念頭において、その違いを4行以内で説明せよ。

問(3)カリフとは「代理人」の意味で、預言者ムハンマドの没後、その代理としてムスリム共同体(ウンマ)の指導者となった人のことを指す。単一のカリフをムスリム共同体全体の指導者とする考えは近代に至るまで根強いが、政治権力者としてのカリフの実態は初期と後代では異なっていた。7世紀前半と11世紀後半を比較し、その違いを3つあげて4行以内で説明せよ。

第3問

 書物の文化は、製作方法の改良や識字率の高まりなどの影響で、時代とともに大きく変化してきた。このような書物の文化の歴史に関連する以下の設問(1)~(10)に答えよ。解答は、解答欄(ハ)を用い、設問ごとに行を改め、冒頭に(1)~(10)の番号を付して記せ。

問(1)書物は思想の倉庫であるため、しばしば思想の統制をはかろうとする者たちの破壊の対象となった。秦代の中国で起こった焚書はその典型である。この時、統制をはかろうとした宰相らが依拠していた学派の名前を記せ。

問(2)宗教の発展には典籍による教義の研究が大きな役割を果たしている。仏典を求めて、インドヘ渡った玄奘らがその目的を果たしえたのは、教義を研究する僧院がそこにあったからである。この僧院の名称を記せ。

問(3)宋代の印刷文化は儒教の典籍を中心としたが、それは科挙制の重要性が増したことと密接に関係していた。朱熹によって重視されたため、科挙試験対策に必修のものとなった経典の総称を記せ。

問(4)韓国の海印寺には、13世紀に作られ、ユネスコの世界文化遺産に登録された8万枚をこえる版木がある。この版木による印刷物の名称を記せ.

問(5)近代になってから韓国の出版物の多くは、日本の漢字仮名交じりと同様に、漢字ハングル交じりで作成されてきたが、近年ではハングルのみとする傾向が強まっている。このハングルは15世紀の制定当時、どのように呼ばれていたのか、その名称を記せ。

問(6)15世紀中頃のヨーロッパで発明されたこの技術によって、それまでの写本と比べて、書物の値段が大幅に安くなり、書物の普及が促進された。この技術(a)の名称と発明者(b)の名前を(a)、(b)を付して記せ。

問(7)1520年代初めにドイツ語に翻訳された聖書を普及させるうえで、印刷工房が大きな役割を果たした。この翻訳を行った人物の名前を記せ。

問(8)かつて、書かれる言葉と話される言葉とは区別されるべきものであった。中国においても、20世紀になると、そのような考えを打ち破って、書かれる言葉こそ話される言葉と一致すべきであるとの主張が盛んになった。そのような主張を掲載した代表的な雑誌名を記せ。

問(9)1920年代のアメリカ合衆国では、新聞や雑誌の発行部数が急速にのびたが、その背景には大量生産・大量消費時代の到来があった。この時代に導入された代表的な大量生産方式の名称を記せ。

問(10)第二次世界大戦中、アメリカ合衆国で新しい技術の開発が始められた。1980年代になると、この技術に基づいてインターネットなどを利用した新しい出版の形態が生み出された。この技術の名称を記せ。

タイトルとURLをコピーしました