東京大学 2005年度 世界史過去問

世界史

第1問

 人類の歴史において、戦争は多くの苦悩と惨禍をもたらすと同時に、それを乗り越えて平和と解放を希求するさまざまな努力を生みだす契機となった。

 第二次世界大戦は1945年に終結したが、それ以前から連合国側ではさまざまな戦後構想が練られており、これらは国際連合など新しい国際秩序の枠組みに帰結した。しかし、国際連合の成立がただちに世界平和をもたらしたわけではなく、米ソの対立と各地の民族運動などが結びついて新たな紛争が起こっていった。たとえば、中国では抗日戦争を戦っているなかでも国民党と共産党の勢力争いが激化するなど、戦後の冷戦につながる火種が存在していた。

 第二次世界大戦中に生じた出来事が、いかなる形で1950年代までの世界のありかたに影響を与えたのかについて、解答欄(イ)に17行以内で説明しなさい。その際に、以下の8つの語句を必ず一度は用い、その語句の部分に下線を付しなさい。なお、EECに付した(  )内の語句は解答に記入しなくてもよい。

 大西洋憲章    日本国憲法   台湾
 金日成      東ドイツ    EEC(ヨーロッパ経済共同体)
 アウシュヴィッツ パレスチナ難民

第2問

 ギリシア人はみずからをヘレネスとよび、その国土をヘラスとよんでいた。アレクサンドロス大王の東征以後、ギリシア風の文化・生活様式はユーラシア西部に広く普及し、その後の世界にも大きな足跡を残している。このヘレニズムとよばれる文明の影響に関連する以下の3つの問いに答えなさい。解答は、解答欄(ロ)を用い、設問ごとに行を改め、冒頭に(1)~(3)の番号を付して記しなさい。

(1) オリエントあるいは西アジアに浸透したヘレニズム文明は、さらにインドにも影響を及ぼしている。とりわけ、1世紀頃から西北インドにおいてヘレニズムの影響を受けながら発達した美術には注目すべきものがある。その美術の特質について、3行以内で説明しなさい。

(2) ギリシア語が広く共通語として受容されたことは、その後の古代地中海世界における学問・思想のめざましい発展を促すことになった。それらはやがてイスラーム世界にも継承されている。このイスラーム世界への継承の歴史について、中心となった都市をとりあげながら、3行以内で説明しなさい。

(3) ビザンツ世界やイスラーム世界と異なり、中世の西ヨーロッパは古代ギリシアやヘレニズムの文明をほとんど継承しなかった。ギリシア・ヘレニズムの学術文献が西ヨーロッパに広く知られるようになるのは、12世紀以降である。これらの学術文献はどのようにして西ヨーロッパに伝わったのか。3行以内で説明しなさい。

第3問

 人間はモノを作り、交換し、移動させながら、生活や文化、他者との関係を発展させてきた。こうした人間とモノとの関わり、モノを通じた交流の歴史に関連する以下の設問(1)~(9)に答えなさい。解答は、解答欄(ハ)を用い、設問ごとに行を改め、冒頭に(1)~(9)の番号を付して記しなさい。

(1) 鉄製武器を最初に使用したことで知られるヒッタイトの滅亡は、製鉄技術が各地に広まる契機となった。ヒッタイトを滅ぼした「海の民」の一派で、製鉄技術をパレスチナに伝えた民族の名称(a)と、この民族を打ち破って、この地を中心に王国を発展させた人物の名(b)を、(a)・(b)の記号を付して記しなさい。﷯

(2) 文字の種類や書体と、書写の道具や材料との間には密接な関係がある。図版Aは紀元前8世紀のアッシリアの壁画に描かれた書記の図で、おのおの左手に粘土(a)とパピルス(b)を持ち、2つの公用語で記録をとっている。それぞれの材料に記された文字の名称を、(a)・(b)の記号を付して記しなさい。

(3) 古代中国では、広域的交易網が活発に利用されるにつれ、図版Bに示したような中国史上最初の金属貨幣が出現した。この種の貨幣を用いていた国家は複数あり、覇権を争っていた。その複数の国家のうちから任意の3つを選び、その名称を漢字で記しなさい。

(4) 古代より西方ではパピルスや羊皮紙などが書写材料として用いられていた。一方、中国では漢の時代のある宦官が、高価な絹や、かさばる竹簡・木簡に代わって、樹皮や麻くず、魚網を混ぜ合わせた比較的良質な紙を作ったとされている。この人物の名を記しなさい。

(5) 前近代の社会では、動物や人間も消耗品的なモノの一種として扱われることが少なくなかった。南インドには、この地で繁殖することのむずかしい軍用の動物が、アラビアやイランから海路で継続的に輸入された。この動物の名称(a)と、この交易について13世紀に記録を残したイタリア商人の名(b)を、(a)・(b)の記号を付して記しなさい。

(6) 図版Cは画家ヤン・ファン・アイクが1434年に﷯制作した油彩画で、これにはネーデルラントの都市ブリュージュ(ブルッヘ)に派遣されたメディチ家の代理人とその妻の結婚の誓いが描かれている。この時代のネーデルラントは、イタリア諸都市と並んで、この絵の中にも描かれているあるモノの生産で栄えたが、やがてその生産の中心はイギリスヘ移っていった。この製品の名称を記しなさい。

(7) 人々はさまざまな農具を開発し、工夫をこらして自然に働きかけ、耕地を増やしてきたが、中国では、そうした営みが書物の形で提供され、やがて膨大な蓄積を誇るようになった。図版Dに示したのは、明代の農書に掲載された道具で、起源は古い。古代以来の蓄積と内外の新しい知見をまとめて成ったこの農書の名称(a)と、その編者の名(b)を、(a)・(b)の記号を付して記しなさい。

(8) アジア各地よりヨーロッパに輸出された陶磁器は、食器としての用途の他に美術品としてもおおいに人気を博し、模倣品の製作を促した。図版Eはそのうちの1つで、明が滅びて中国からの輸入が激減した17世紀の後半に、代替品として生まれたデルフト焼の皿である。このモデルとなった中国陶磁器の生産中心地の都市名を漢字で記しなさい。

(9) ロンドンやパリのような都市では、17世紀頃から、海外のプランテーションなどで生産された飲食物が流行し、それらをたしなむ社交場が出現した。18世紀に入ると、そこには学者や文人、商人たちが多く集まり、政治を語り、芸術を論じた。またそこでの情報交換を通じて、身分を越えた世論の形成が促された。この社交場の名称を記しなさい。

タイトルとURLをコピーしました