大阪大学 2000年度 世界史過去問

世界史

Ⅰ 次の文に関連する、以下の問いに答えなさい。

 内陸アジアや東南アジアの経済は、ユーラシアの東西をむすぶ貿易を基盤として発達してきた。主要な貿易ルート上にはオアシス都市国家や海岸・河川沿いの港市国家が成立した。しかし、これらのルートと都市がきわめて重要だったため、中央アジアでは草原の遊牧国家、東南アジアでは内陸やデルタの農業国家に支配されることも多く、中国や大航海時代以降のヨーロッパ諸国など、域外の大国が支配の手を伸ばすこともあった。

問一
 パミール以東に広がる、いわゆる東トルキスタンは、西・南アジア世界と東・北アジア世界とを連結する交通の要衝であった。以下に掲げる①~③の各時期において、どんな国家・勢力がこの地域を支配したか、この地の宗教や民族の変遷にも触れながら、一六〇字程度で説明しなさい。

【① 七~八世紀前半 ② 一一~一二世紀前半 ③ 一八世紀後半~二〇世紀初頭】

問二
 東南アジア海上交易の心臓部であったマラッカ海峡は、以下に掲げる①~③の各時期にどんな国家・勢力に支配されたか。各時期の最重要な港市がどこだったかにも注意しながら、二〇〇字程度で説明しなさい。

【① 七~一四世紀 ② 一五~一六世紀 ③ 一九世紀~二〇世紀前半】

問三
 中国の国家・社会も、古くからユーラシアの東西をむすぶ貿易により、やがては全地球規模の貿易により、大きな影響を受ける場合があった。一例として、一六~一九世紀前半の中国にかかわる銀の流れがどんなもので、そこから中国はどんな影響を受けたかを、八〇字程度で説明しなさい。

Ⅱ エジプトからシリアにかけての地は、ヨーロッパとアフリカ、アジアの結節点に位置し、古来より多くの国際紛争の舞台となってきた。この地域についてつぎの問いに答えなさい。

問一
 一三世紀後半この地における、イスラム王朝と、アジアおよびヨーロッパの各勢力との紛争について、一〇〇字程度で説明しなさい。

問二
 一八世紀末にフランス軍がエジプトを占領した。その目的の一つは、イギリスの世界戦略に打撃を与えることにあった、と考えられている。なぜ打撃になるのか、五〇字程度で説明しなさい。

問三
 スエズ運河の建設に尽力したレセップスがアカデミー・フランセーズ会員に迎えられた一八八五年、恒例の新会員歓迎演説を担当した文明批評家ルナンは、「運河建設で紛争の種がまた一つふえた」と述べた。運河をめぐる国際紛争の例として、①一八八一~八二年と、②一九五六年の二つの時期について、それぞれ八〇字程度で説明しなさい。

Ⅲ 一九世紀末~二〇世紀前半にかけてのヨーロッパの思想や文化について、つぎの問いに答えなさい。

問一
 この時期の思想や文化にもっとも関係の深い語を、つぎの語群から五つ選び、番号で答えなさい。

① 科学主義  ② サンスーシ宮殿  ③ 表現主義  ④ ジョイス  ⑤社会契約説
⑥ ストラヴィンスキー  ⑦ 「最大多数の最大幸福」  ⑧ 疾風怒濤  ⑨ ワトー
⑩ ニーチェ  ⑪ 実証主義哲学  ⑫ 「純粋理性批判」  ⑬ 生の哲学
⑭ バルザック  ⑮ 「民衆をみちびく自由の女神」

問二
 この時期の思想や文化の傾向を、つぎの二つの語を用いて四〇字程度で説明しなさい。なお、これらを使用した箇所には必ず傍線を引くこと。

非合理主義   理性的人間観

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