Ⅰ 次の文章を読み,下の問1~問3に答えなさい。
始皇帝の秦朝が「天下」を統一してから辛亥革命を契機に清朝が倒れるまで,中国では多数の王朝が興亡をくりかえした。そして,中国の歴代王朝の版図は王朝ごとに異なり,その版図に新たに組み込まれる地域もあれば,そこから独立したり,あるいは他国の版図に改めて組み込まれたりする地域もあった。たとえば,(1)現在のベトナム北部は,長期間にわたり中国の歴代王朝の版図に入っていたが,中国で[ ア ]朝が滅ぶと独立を達成する。逆に台湾は,福建の対岸に位置しているにもかかわらず,中国を統治する王朝の領域に組み込まれるのは遅く,清朝の康煕帝の時であった。康照帝はまた黒竜江(アムール川)方面でロシアを駆逐して1689年に[ イ ]条約を結び,乾隆帝は西北方面で[ ウ ]を滅ぼして東トルキスタン全域を占領し,「新疆」と名づけた。かくして18世紀半ばに清朝の領域は最大となるが,(2)19世紀になると,領域の一部について,外国に割譲したり,租借権を与えたり,あるいは勢力範囲として認めたりして,清朝は「瓜分」(領土分割)の危機を迎える。
問1
文中の[ ア ]に入る王朝名,[ イ ]に入る条約名,[ ウ ]に入る遊牧勢力の名称を書きなさい。
問2
下線部(1)に関連して,[ ア ]の王朝が滅亡してから19世紀末までのベトナム北部地域における,他国からの独立と他国への服属の歴史について,以下の用語をすべて使って説明しなさい(150字程度)。
明朝 阮朝 宗主国 清仏戦争
問3
下線部(2)に関連して,19世紀後半におけるロシアの中国への進出について,条約名や地名を具体的にあげて説明しなさい(100字程度)。
Ⅱ 次の文章を読み,下の問1~問8に答えなさい。
ローマ帝国は,地中海を取り巻く形で拡大した。(1)イタリア半島外部でのローマの征服戦争は紀元前3世紀に始まり,1世紀のはじめまでに地中海はほぼローマの内海となった。帝政期に入ると「ローマの平和」の下で沿岸の各地方を結ぶ商業が発展し,各都市国家は文化的に共通性を高めた。キリスト教もこのような環境で発展した。(2)この時代のキリスト教会で大きな影響力を発揮した教父の中には,主にアフリカで活動した人物も何人かいた。
4世紀末から5世紀にかけて,ゲルマン人の諸集団はローマ帝国に侵入し,主に西部の領域で建国した。この政治的混乱の中で西ローマ帝国は476年に消滅した。しかし,(3)東ローマ帝国は6世紀になっても,なお地中海で覇権回復の戦争を行う力を持っていた。
地中海を取り巻くローマ的な世界は,7世紀から8世紀初め,地中海東岸・エジプト・アフリカ北岸・イベリア半島の大部分がイスラーム勢力に征服されたことで解体した。キリスト教徒の支配下に残された地域でも,(4)ローマを中心とする西方とコンスタンティノープルを中心とする東方の分裂傾向があらわとなり,それらはやがてローマ・カトリック圏と東方正教圏を形成することになる。
(5)11世紀後半,トルコ系イスラーム王朝の脅威に対して派遣された十字軍の遠征は,兵士・物資の輸送を担ったイタリア商業都市による地中海交易を発展させた。さらに13世紀末までには,イタリア諸都市の交易活動は,イスラーム諸王朝支配下の地中海東岸・紅海・アラビア海交易路,および(6)モンゴル帝国支配下のユーラシア内陸交易路と,密接に結びつくこととなった。
14世紀の黒死病の流行により地中海をめぐる交流は打撃を受けたが,15世紀中葉にオスマン帝国がビザンツ帝国を滅ぼし,16世紀初頭にはエジプトも征服して,地中海東半の政治統合を果たした。オスマン帝国は,西欧に[ (7) ]と呼ばれる特権を与え,イスタンブルを中心とする通商活動はいっそう活発となった。19世紀には,非イスラーム教徒を含む多民族に対するオスマン帝国の支配は危機に陥り,20世紀初頭に帝国は滅亡する。しかしその旧領では,(8)民族や宗教の相違に由来する紛争が今なお続いている。
問1
下線部(1)の征服戦争と版図の拡大はローマ社会にどのような変化をもたらしたか,以下の用語をすべて使って説明しなさい(100字程度)。
重装歩兵 属州 無産市民 公有地 奴隷制大農場
問2
下線部(2)にあてはまるアフリカの教父について,ひとり名前を挙げなさい。
問3
下線部(3)に関連して,6世紀に東ローマ帝国によって滅ぼされたゲルマン人の王国名を2つ挙げなさい。
問4
下線部(4)に関連して,8世紀の東方キリスト教会で発生し,東西キリスト教会の疎遠化の要因のひとつとなった問題は何か,答えなさい。
問5
下線部(5)に関連して,下の地図中のA~Gは,11世紀後半のいくつかの国家・王朝の勢力範囲をおおまかに示したものである。この中から,トルコ系イスラーム王朝の勢力範囲として適当なものを2つ選び,記号で答えなさい。

問6
下線部(6)に関連して,モンゴル帝国とローマ・カトリック圏との交渉について,それを担った人物の名前も挙げつつ説明しなさい(120字程度)。
問7
文中の[ (7) ]の特権の名称を答えなさい。また,その内容はどのようなものか,説明しなさい(50字程度)。
問8
下線部(8)に関連して,トルコ共和国が当事者として関与している紛争を下のア~オから選び,記号で答えなさい。
ア.パレスチナ紛争
イ.クリミア紛争(クリミア危機)
ウ.ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争
エ.キプロス紛争
オ.チェチェン紛争
Ⅲ 次の文章を読み,下の問1~問3に答えなさい。
15世紀末~16世紀のいわゆる「大航海時代」は,大陸間規模でのヒトの交流やモノの交易を促す契機となった。ヨーロッパ人のアメリカ大陸到達の後,疫病や動植物が各大陸間で相互に広まった結果,地球規模で生態系が組み替えられるとともに,各大陸での生活習慣や食糧事情に大きな変化が起きた。
アメリカ大陸原産の植物のなかには,各大陸に奢侈品として普及し,各地の生活習慣に変化をもたらしたものがある。(1)たとえば,中南米原産のタバコは,1570年代にフィリピンで栽培が始まっていたと推測され,日本の平戸にも1601年にタバコの種がキリスト教宣教師によってもたらされたという記録がある。同じ年にはジャワ島の宮廷で使用された記録も残っており,タバコが嗜好品としてユーラシア大陸東部に普及していたことがわかる。また主食の代用として普及し,各大陸の人口増加を刺激したアメリカ大陸原産の植物もある。(2)たとえば,ブラジル原産のキャッサバは,西アフリカと交易関係があったポルトガル人によってアフリカ大陸へもたらされ,食糧としての栽培が始まったとされている。
ユーラシア大陸にもアメリカ大陸原産の植物が食糧として普及した結果,アジアとヨーロッパの人口は18世紀頃まで共に増加した。しかしヨーロッパでは,生活を支えるために必要な物資の不足が危惧されたこともあり,社会に有用な知識が求められるようになった。たとえば,江戸時代に来日して蘭学の発展を刺激したヨーロッパ人が日本の自然の情報を求めたように,彼らは生活を支える新たな動植物を求めて世界各地を探検し,各大陸の文物を収集しながら博物学を発展させた。(3)このように社会に有用な知識への需要に応えようとしたヨーロッパの学問は,新たな市場の開拓や産業革命を支えた技術革新を促すことで,18世紀末以降の経済発展を刺激する一因になった。
問1
下線部(1)のようなタバコ普及の背景にあった南シナ海諸地域とアメリカ大陸の交易関係について,主要交易品とその産地,輸送手段に言及しながら説明しなさい(100字程度)。
問2
下線部(2)のようなキャッサバ普及の背景にあった15~16世紀のポルトガルの交易活動について,以下の用語をすべて使って説明しなさい(100字程度)。
ベニン(ベナン) 象牙 アシエント
問3
下線部(3)のような社会に有用な知識の需要に応えた17~18世紀のヨーロッパにおける学問の動向について,以下の用語をすべて使って説明しなさい(100字程度)。
科学革命 王立協会 リンネ