筑波大学1998年度ー1
次の語句を用いて、ゲルマンの民族移動の開始から、ムハンマドの出現までのローマ帝国の変遷を説明せよ。(400字以内)
コンスタンティノープル テオドシウス1世帝 476年 クローヴィス
解説
今回の問題では、「ゲルマンの民族移動の開始」から「ムハンマドの出現」までの「ローマ帝国」の「変遷」を説明する問題です。時代と地域は特定できましたかね。まずはここからはみ出ないことが絶対条件です。出題者はもっとたくさんのことを皆さんが知っていることはわかっています。その上で、どういった思考をしているのかを問うているわけですからね。
では、ここから問いに答えていきましょう。現代文で作っている構成メモのようなものを作りながら答案作りに挑みます。指定語句はさっと目を通し、関連事項を思い浮かべておくといいでしょう。
論述ポイント1
まずゲルマンの民族移動開始は何年でしょうか。これは必須暗記事項で、375年。西ゴート人が移動を開始した年号です。語呂合わせではゲルマン民族み(3)んな(7)でゴー(5)ですね。
この年号をスタートに、ローマ帝国で起きた出来事を考えると、390年キリスト教の国教化、395年テオドシウス1世帝の死、帝国の東西分裂が起こります。
西ローマ帝国、東ローマ帝国に分裂したローマ帝国領にはなだれるようにゲルマン人が侵入し、帝国の各都市は混乱に陥ります。
ここで、ゲルマン人国家について長々と書いてはいけません。ヴァンダル王国やランゴバルド王国、東ゴート王国など多くの国々が建国されますが、ここではローマ帝国に焦点を当ててください。あくまで主語はローマ帝国ですから、ゲルマン人国家について言及する場合は、「西ローマ帝国はゲルマン人国家の建国により、領土を縮小していった。」くらいに留めるのがいいでしょう。
論述ポイント2
次に、指定語句では476年という年号が出ています。これは何が起きた年でしょうか。これも重要暗記事項、西ローマ帝国の滅亡です。西ローマ帝国の傭兵隊長であったオドアケルが西ローマ皇帝に帝位を譲るよう要求したのが476年です。
オドアケルの国は東ゴート王国によって滅亡します。テオドリック大王の時代のことですね。イタリア半島はいくつかのゲルマン人国家の手に渡り、安定した政治権力のない状態に陥ります。
そのころイタリア半島の北方でフランク人の王クローヴィスがアタナシウス派への改宗を行います。496年のことです。
先ほど、ゲルマン人国家についての言及はあまりしないと書きましたが、指定語句にクローヴィスが入っています。触れないわけにはいきません。もちろんフランク王国は古代ローマ帝国とは異なりますが、ご存知の通り、フランク王国のカール大帝は800年に皇帝の称号をローマ教会から与えられます。このカールの戴冠はローマ帝国復活を意味しました。そのため、王家は違いますが、クローヴィスに始まる、キリスト教アタナシウス派を信仰する政治権力としてクローヴィスが指定語句に含まれているのでしょう。
しかし、この時代はあくまでアタナシウス派に改宗しただけですから多くを書く必要はありません。「クローヴィスがアタナシウス派に改宗し、ローマ人とフランク人の宗教的融合が進んだ。」くらいでいいでしょう。
論述ポイント3
クローヴィスの改宗まで書くと、5世紀末まで進んでいます。ムハンマドの出現が6世紀の後半ですから、あと1世紀分の内容が必要です。
では、ここで指定語句を見てみると、コンスタンティノープルが残っています。東ローマ帝国の都ですね。ということは、ここで東ローマ帝国について書けと言っているようなものですから、6世紀ごろの東ローマ帝国を考えると、ユスティニアヌス大帝がいます。
教科書での東ローマ帝国に関する記述はさほど多くありませんが、ユスティニアヌスはさっと出てきてほしい人物です。彼の時代、東はササン朝と抗争し、西は北アフリカに攻め込み、ゲルマン人国家を征圧しています。
一度6世紀ごろの勢力図を資料集などで確認してみてください。地中海沿岸を覆うように帝国の版図が広がっています。
ここで忘れてはいけないのが、ローマ帝国とは地中海帝国であるということです。単なるイタリア半島の国家ではありません。地中海沿岸を支配してこそのローマ帝国なのです。
ここでは、ユスティニアヌス帝の時代に東ローマ帝国は最盛期を迎えたことがかけてあればいいでしょう。具体的に書く内容としては、ヴァンダル王国への攻撃や養蚕業の拡充、またローマ法大全の編纂などもこの時期ですから記述に含めることはできます。
まとめ
さて、ここまでで題意に沿う時代と地域の概観は出来たでしょう。あとはこれを400字にまとめていく作業になります。何度も書き直しながらまとめていってください。この問題では「変遷」が聞かれていますから、ずらっと歴史的事象を書き連ねるだけでも減点はできないでしょう。
ただし、せっかくですから、もう一歩踏み込んで問題を考えてみましょう。400字という字数制限の中で、多くを語ることはできません。書いてみるとわかりますが、意外と文字数はすぐ埋まってしまいます。そのため、論点を整理しないと伝わりにくい解答になってしまいます。
そこで、この問いを大きな視点から解釈し、何を聞きたいのか考える訓練をしておくと論述の軸ができあがります。この軸を大事にしてほしいと思います。
では、この問いの軸とは何か。結論からいうと「ヨーロッパ世界が確立するまでの過程」となるでしょう。ローマ帝国なんだから当たり前じゃないかと思うかもしれませんが、これを意識するかしないかは解答に大きく響いてきます。論の初めから終わりまでをヨーロッパ世界ができるまでの重要ポイントという視点を持って書いてみてください。きっと解答は読みやすくなっているはずです。
補足
少し補足をしておくと、「ムハンマドなくしてカールなし」という言葉があります。これはベルギーの歴史学者アンリ・ピレンヌの言葉ですが、イスラームの侵入によってヨーロッパ世界が確立したということを表しています。この考えが絶対的に正しいかはわかりませんが、一つの歴史を見る視点として重要な見方でしょう。
古代ローマ帝国にとってゲルマン人は確かに「外来」の民族でしょう。しかし、帝政末期からコロヌスや傭兵という形でゲルマン人はローマ社会に入ってきています。原始ゲルマン社会に対してローマの人々はキリスト教まで布教しています(アリウス派が多いですが)。
西ローマ帝国にとってゲルマン人は侵略者であったかもしれませんが、現ヨーロッパを形作った民族もまたゲルマン人なのです。それがフランク人のクローヴィスが指定語句に入れられている要因でしょう。またローマ帝国は地中海帝国だと書きましたが、現在北アフリカの地中海沿岸をヨーロッパというでしょうか。彼らの主な宗教はキリスト教でしょうか。
この地域はイスラーム教の拡大によってイスラーム文化圏となっています(キリスト教徒ももちろん居ますが)。そのことからローマ帝国はヨーロッパ世界とは異なるのです。この違いを生み出したのは、イスラーム勢力の拡大にあります。
象徴的な事例が732年のトゥール・ポワティエ間の戦いです。ウマイヤ朝軍が北アフリカからイベリア半島、ピレネー山脈を越え、今のフランス方面へ侵攻してきたのを、フランク王国のカール=マルテルが撃退した戦いで、年号とともに絶対暗記の最重要事項です。この戦いをきっかけにフランク王国内ではクローヴィスに始まるメロヴィング家よりも宮宰カロリング家に力が集まってきます。その絶頂が先述した800年のカールの戴冠になるのです。
こうした歴史観を400字の中に組み込むのは難しいことです。そもそも732年は問題の指定から外れていますから、この補足内容を解答に組み込む事はできません。ですから、本番の解答にそこまでの内容は求めないでしょう。
しかし、過去問を通して学ぶ際には、ぜひともどういう視点で歴史を語るのかを学んでほしいと思います。論述問題のおもしろさはここにあると思っていますので、1回目にこの問題を選んでいます。
またピレンヌ関連の類題として東京大学1995年度第1問や一橋大学2009年第1問などがあります。参考にしてみてください。



