東京大学 2013年度 世界史過去問

世界史

第1問

 大西洋からインド洋、太平洋にかけて広がる海を舞台にした交易活動は、17世紀に入り、より活発となり、それにともなって、さまざまな開発が地球上に広く展開されるようになった。それらの開発によって生み出された商品は、世界市場へと流れ込んで人々の暮らしを変えていったが、開発はまた、必要な労働力を確保するための大規模な人の移動と、それにともなう軋轢を生じさせるものであり、そこで生産される商品や生産の担い手についても時期ごとに特徴をもっていた。

 17世紀から19世紀までのこうした開発の内容や人の移動、および人の移動にともなう軋轢について、カリブ海と北アメリカ両地域への非白人系の移動を対象にし、奴隷制廃止前後の差異に留意しながら論じなさい。解答は、解答欄(イ)に18行以内で記し、必ず次の8つの語句を一度は用いて、その語句に下線を付しなさい。

 アメリカ移民法改正(1882年) リヴァプール   産業革命
 大西洋三角貿易        奴隷州       ハイチ独立
 年季労働者(クーリー)     白人下層労働者

第2問

 国家と宗教の関わりについての、以下の3つの設問に答えなさい。解答は、解答欄(ロ)を用い、設問ごとに行を改め、冒頭に(1)〜(3)の番号を付して記しなさい。

問(1) 紀元前1世紀に地中海世界を統ーしたローマは、その広大な帝国を統治するために、宗教をさまざまな形で支配政策に組み入れていった。パレスチナの地に生まれてローマ帝国内に信仰を広げたキリスト教は皇帝による宗教政策との関わりで、(a)はじめ激しく迫害されたが、やがて(b)紀元後4世紀前半には国家に受け入れられるようになった。下線部(a)・(b)に対応する以下の問いに、冒頭に(a)・(b)を付して答えなさい。

(a) キリスト教徒がローマ皇帝に迫害された理由を2行以内で説明しなさい。

(b) キリスト教はローマ皇帝によってどのように公認されたか、その皇帝の名前と公認の理由に触れながら、2行以内で説明しなさい。

問(2) 中国では魏晋南北朝時代になると、国家との関わりのなかで、今日まで影響力をもつような宗教が現れた。以下の(a)・(b)の問いに、冒頭に(a)・(b)を付して答えなさい。

(a)この時代には、鳩摩羅什が華北で国家の保護を受けて布教するなど、仏教が本格的に広まった。陸路や海路で西域やインドとの間を行き来して、仏教の普及につとめた人々の活動について2行以内で説明しなさい。

(b)北魏では、太武帝の保護を受け、その後の中国で広く信仰される宗教が確立した。その宗教の名称とその特徴、およびその確立の過程について2行以内で説明しなさい。

問(3)メロヴィング朝フランク王国の急速な勢力拡大の背景には、その基礎を築いた王の改宗があったと考えられている。以下の(a)・(b)の問いに、冒頭に(a)・(b)を付して答えなさい。

(a) 他のゲルマン諸部族の王の大部分は、当時どのような宗教を信仰していたか、2行以内で説明しなさい。

(b) このメロヴィング朝の王は、どのような宗教に改宗したのか、この王の名前とともに、2行以内で説明しなさい。

第3問

 世界史において少数ながら征服者や支配者となったり、逆に少数ゆえに激しい差別や弾圧を受けたりしながら、さまざまな時代や地域で重要な役割を果たした人々がいた。また、こうした少数派に関わる事象が歴史の流れのなかで大きな意味をもつこともあった。これらをふまえて、以下の質問に答えなさい。解答は、解答欄(ハ)を用い、設問ごとに行を改め、冒頭に(1)〜(10)の番号を付して記しなさい。

問(1) 歴史上、少数の征服者が、異質な文化をもっ多数の土着住民を統治した「征服王朝」は数多く存在する。このような征服者の住民統治策について述べた次の文章①〜③のなかで、誤りを含むものの番号を記しなさい。

 ① スペインは、その中南米やフィリピンの統治で、住民へのカトリックの普及をはかった。

 ② 元は、その中国統治にあたって、科挙試験を一貫して重視し、南人の土大夫層を積極的に登用した。

 ③ 清は儒学の振興につとめる姿勢を示したが、反満・反清的な言論は「文字の獄」などで厳しく取り締まった。

問(2) 少数派の宗教的信仰が、国家や既存宗教勢力から異端視され、迫害され、逆に反体制集団の紐帯となっていく場合がある。中国の白蓮教もこのような信仰だった。白蓮教の活動は、南宋から近代にかけて知られているが、14世紀に白蓮教徒が起こしたといわれ、元の支配に終焉をもたらす上で大きな役割を果たした反乱は、何と呼ばれているか。その名称を記しなさい。

問(3) ヒンドゥー教は現代の東南アジアでは一部の人々が信仰する少数派の宗教であるが、かつては大きな影響力を有していた。13世紀にジャワに成立し、島嶼部の交易の覇権を握って繁栄した王国も、ヒンドゥー教を信奉し、その文化的優位性をインド世界との結びつきに求めていた。ジャワにおける最後のヒンドゥー王国といわれるこの王国の名称を記しなさい。

問(4) 16世紀のムガル帝国では、第3代皇帝の治世下でジズヤが廃止され、人口比では少数であるイスラーム教徒の支配者層と、多数派のヒンドゥー教徒住民との間の融合が模索された。この改革を行った皇帝の名前を記しなさい。

問(5) この民族は、その主な居住地域が歴史的な経緯からトルコ、イラク、イラン、シリアなどに国境線で分断されているため、各国における少数派となっている。また、第3回十字軍と戦ったサラーフ=アッディーン(サラディン)も、この民族の出身である。この民族の名称を記しなさい。

問(6) 南アフリカ共和国では、白人による少数支配体制のもと、多数派である非白人に対する人種差別と人種隔離の政策が採られていた。このアパルトヘイトに反対する運動に献身し、長い投獄生活を経て1993年にノーベル平和賞を受賞した後に、大統領となった人物の名前を記しなさい。

問(7) 近世ヨーロッパでは教会公認の天動説に対して、地動説を唱えた少数の学者たちは自説の撤回や公表回避をしばしば強いられた。そうしたなかで、地動説の主張を曲げずに宗教裁判にかけられ、処刑されたイタリア人学者の名前を記しなさい。

問(8) 19世紀末のフランスでは反ユダヤ主義や排外主義の風潮が高まり、ユダヤ系のドレフュス大尉がドイツのスパイ容疑で終身刑を宣告された。これに対して彼の無実を主張した自然主義作家の名前を記しなさい。

問(9) 1968年チェコスロヴァキアでは民主化を求める動きが高まり、政府も民主化、自由化を推進したが、ソ連を中心とする東欧の5か国は軍事介入し、圧倒的な武力を背景に圧迫を加えてこの民主化の動きを阻止した。「プラハの春」と呼ばれる、この動きを推し進めた政府指導者の名前を記しなさい。

問(10) 北アメリカの先住民であるインディアンは白人による圧迫を受けて、しだいに居住地域を限定されるようになった。とりわけアメリカ合衆国大統領ジャクソンは立法によって、ミシシッピ一川以西の保留地に移ることを彼らに強いた。この法の名称を記しなさい。

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