〔1〕
次の文章は,フィデル・カストロとともにキューバ革命を主導したチェ・ゲバラが,1966年1月にキューバの首都ハバナで創設された「三大陸人民連帯機構」へ送った「メッセージ」の一部である。三大陸人民連帯機構は,アジア,アフリ力,ラテンアメリカの急進的な民族主義運動を結集したはじめての国際組織である。この文章を読んで,問に答えなさい。(60点)
先の世界大戦が終わってから早くも21年が経ち,ありとあらゆる言語で書かれた出版物が日本の敗北によって象徴される戦争終結という出来事を祝福している。世界はさまざまな陣営に分かれているが,表面上,ある楽観的な見方が広がっている。
対立が極限に達し,激しい衝突や急激な変化があったにもかかわらず,世界戦争が起きなかったこの21年間はすばらしい歳月のように見えるし,私たちは常々平和のために闘う用意があると表明してきた。しかし,この21年間にわたる平和の内実(世界の広い地域では貧困や人権侵害や搾取がますます増大している)を分析することなしに,それが真実の平和かどうかという問に答えることはできない。
日本の降伏以来つぎつぎに起こった局地的紛争について語るのが,この覚え書きの目的ではない。平和とされるこの間に起きた多くの内戦を列挙することも,われわれの意図するところではない。ゆきすぎた楽観論に反する例として,①朝鮮戦争とヴェ卜ナム戦争をあげるだけで十分であろう。
(中略)
ヴェトナムでは,愛国勢力がほとんど連続して3つの帝国主義国への戦いを続けてきた。日本の軍事力は,広島と長崎への原爆投下によって一挙に壊滅した。フランスは敗北した日本からインドシナ植民地を取り戻し,大戦中に結んだ約束を反故にした。そして,戦争の最後の局面にアメリカ合衆国が登場したのである。
どの大陸においても,これまで限定的な対決が存在してきた。②アメリカ大陸では,長い間,萌芽的な解放闘争とクーデタが繰り返されたが,キューバ革命がこの地域の重要性を喚起した。それは帝国主義者を激怒させた結果,キューバはまずプラヤ・ヒロン*で,次に〔1962年〕10月の危機に際して国を防衛しなければならなくなった。③キューバをめぐって米ソが衝突していたら,この10月の危機はとてつもない大戦争に発展していたかも知れない。
しかし,今,矛盾の焦点は明らかにインドシナ半島とその隣接諸国にある。ラオスとヴェトナムは内戦に揺れていたが,アメリカ帝国主義が全力をあげて介入してきたため,地域全体が爆発寸前の危険な起爆剤へと変貌した。
ヴェトナムにおける衝突は極度に激化している。ただし,この戦争の経過を追うのもわれわれの意図するところではないので,いくつかの記憶に残る重大な出来事を指摘するにとどめよう。
1954年,ディエン.ビエン•フーの壊滅的な敗北の後,( ④ )協定が締結された。この協定は,国を二つに分割すること,18ヵ月以内に選挙を実施してヴェトナムの統治者と再統一の方法を決定することをうたっていた。しかし,アメリカ合衆国は同協定に調印せず,フランスの傀儡であった皇帝バオ・ダイの代わりに,自らの意にそった人物を押し立てようとする策動に取りかかった。こうしてゴ・ディン・ディエムが登場した。ゴ・ディン・ディエムの悲劇的な最期―――オレンジのように帝国主義によって搾りつくされた―――はよく知られているところである。
( ④ )協定成立後の数ヵ月間は,人民軍の陣営にも楽観論が支配的であった。南にあった反仏闘争の拠点を撤去し,協定の実施を待ったのである。しかし,まもなく愛国者たちは,アメリカ合衆国が投票箱を思いのまま操作できると感じないかぎり選挙は実施されないだろうと悟った。ただし,どんな不正手段を使おうとも,投票箱を思い通りに操作するなどということはありえない話であった。
南でも戦闘が再開され,現在にいたるまで激化の一途をたどってきた。米軍は50万人にのぼる兵士を投入して侵略を進めているものの,傀儡軍の兵力は減少し,しかも完全に戦意を喪失している。
ほぼ2年前,アメリカ合衆国はヴェトナム民主共和国に組織的な爆撃を開始した。南における戦意をくじき,強者の立場から和平会議を迫ろうと考えたのである。当初,爆擊はいくらか間隔をおいて行われ,北からの挑発への報復であるかのように見せかけていた。やがて激しさも頻度も増し,ついに北の文明の徹底的な破壊をめざして,アメリカ空軍による連日の大規模な攻撃になった。かの悪名高い「エスカレーション」である。
アメリカ合衆国側の願望は,物質的にはかなり達成された。ヴェトナムが対空砲火によって勇敢な防衛を挑み,1700機以上の米軍機を撃墜し,社会主義陣営からの軍需品の援助を受けてきたにもかかわらず。
これは辛い現実である。ヴェトナム,すべての黙殺されている世界の勝利への願望と期待を体現しているこの国は,悲しいまでに孤立している。ヴェトナム人民は,アメリカ合衆国の技術力の猛攻を耐え忍ばなければならない。それは南ではほとんど太刀打ちするのは不可能であり,北にはいくらかの抵抗の見込みが残っているものの,常に孤独な戦いである。
ヴェトナム人民に対する世界の進歩的陣営の連帯は,ローマの闘技場の剣闘士に対する平民の激励に似た苦いアイロニーを帯びている。重要なのは,劣勢に立たされた側の勝利を望むことではなく,劣勢に立たされた側と運命を分かち合うこと,死にいたるまで,あるいは勝利を獲得するまで目を離さないことなのである。
ヴェトナムの孤独を分析するとき,私たちは人類のこの不合理な時代の苦悩にさいなまれる。
アメリカ帝国主義は侵略という罪を犯している。その罪はとてつもなく重く,全世界に及んでいる。皆さん,私たちにはそれが分かっている!しかしまた,決断のときに躊躇したために,世界戦争に発展する危険を犯してでもアメリカの帝国主義者たちに決定を迫り,ヴェ卜ナムを不可侵の一部として社会主義陣営に組み入れなかった人々にも罪がある。さらに,社会主義陣営の二大勢力の間で,かなり前から始まった悪罵とだまし討ちの争いを続けさせている者たちも同罪である。
正直な答を求めて問うてみよう。対立する二大国間の危険な均衡状態が続くなかで,ヴェトナムは孤立しているのだろうか,していないのだろうか。
それにしても,ヴェトナム人民は何と偉大であることか!何という克己心と勇気!
ヴェトナム人民の闘いには,世界に対する何と多くの教訓が込められていることか!
ジョンソン大統領が,国民が必要とするさまざまな改革のうちのいくつかを始めようと―――日増しに爆発的な力で増大する鋭い階級対立を和らげるために―――真剣に考えていたのかどうかは,いつまで経っても分からないであろう。しかし,「偉大な社会」という大げさな看板を掲げて発表された改革は,ヴェトナムの排水溝に流れ込んでいったというのが真相なのである。
⑤その最大の帝国主義国は,一つの貧しい後進国のために内出血を起こしていると感じており,戦争遂行の負担はその巨大な経済に響いている。人殺しは独占資本にとっての最良の商売ではなくなった。すばらしいヴェトナムの兵士たちは,祖国と社会への愛,卓越した勇気のほかには,防衛的な,それもあまり十分ではない武器しか持っていない。しかし,帝国主義はヴェ卜ナムで泥沼にはまり込み,出口を見出せず,いま置かれている危険な苦境から威厳を失わずに脱する道を死に物狂いで探している。しかも,北の提示した「4条件」と南の提示した「5項目」によって対立が決定的なものになり,帝国主義国はさらに追い詰められている。
あらゆる点から見て,平和,世界的規模の戦争が起こらなかったという,それだけの理由で命名されたこの不安定な平和が,アメリカ合衆国の取り返しのつかない,受け入れがたい行動によって,いま再び破られようとしている。
(「三大陸人民連帯機構へのメッセージ」,選集刊行会編『ゲバラ選集4』青木書店,1969年。ただし,表現を一部改めた。)
*1961年4月,アメリカ合衆国へ亡命したキューバ人の部隊が米中央情報局の援助を受けてキューバ中部南岸に侵攻しようとしたが失敗した事件。ビッグズ湾事件。
問1
下線部①について,攻防が続き戦線が膠着したのは北緯何度付近であったか。(イ)その緯度を答えなさい。また,(ロ)朝鮮戦争に際して「治安維持」のため,連合国軍総司令部(GHQ)の指示で1950年に日本で新たに設けられた組織の名称を答えなさい。(10点)
問2
下線部②に関連して,1973年9月11日,南アメリカのある国で民主的な選挙で選ばれた社会主義政権が軍事クーデ夕によって倒された。(ハ)そのクーデタが起きた国と,(ニ)倒された政権の大統領の名を答えなさい。(10点)
問3
下線部③に関連して,「この10月の危機」の後,米ソ両国の核軍縮交渉が急速に進んだ。(ホ)1963年に米ソを含む3力国で締結された最初の核軍縮条約の名称と,(へ)米ソ以外の調印国の名を答えなさい。(10点)
問4
( ④ )にはある都市の名が入ります。(ト)その都市の名を答えなさい。また,(チ)1973年1月にヴェトナム和平協定が結ばれた都市の名を答えなさい。(10点)
問5
下線部⑤に関連して,ヴェトナム戦争が世界の政治,経済,社会それぞれの分野に与えた影響について,400字以内で説明しなさい。その際,以下の語句を必ず使用し,用いた箇所すべてに下線を引きなさい。(20点)
反戦運動 キング牧師 カウンター・カルチャー
多極化 ドル危機
〔2〕
西ヨーロッパ・キリスト教世界は,「唯一にして普遍」と考えられた正統教義を守り抜いてきたが,16世紀の宗教改革を経て,複数の宗派の共存,競合する多元的な世界へと変質していく。この時代は,宗派対立•宗教戦争といった,宗教的他者に対する徹底した不寛容を特徴とする時代でありながら,その一方で,大航海時代という時代背景のもとで積み重ねられていく異文化との出会いの経験から,宗教的他者を受容する近代的寛容の精神を育んだ時代でもあった。
以下の2つの文章は,17世紀のフランス人ユグノーで,「宗教的寛容論の父」と呼ばれる思想家ピエール・ベール(1647-1706)によるものである。この文章を読んで,問に答えなさい。(40点)
さて,いまやフランスでは全ての者がカトリック信者になったというのは事実でしょう。しかし,もしこの「カトリック」という言葉がいま持っている力と意味を知ったなら,①フランスがルイ大王のもとカトリック一色になったことを,誰もうらやむことなどありますまい。なぜなら,この言葉を優越的に冠した人たちは前々から恐るべき振舞い〔スペインにおける宗教裁判〕をなしていますし,紳士であれば,カトリックと呼ばれるのを不名誉と思うはずです。また,「まことキリスト教徒なる」王国において,あなたがたが最近なさったこと*を見れば,今後,カトリックの信仰は,不誠実なる者の信仰と同義になるはずなのですから。
(「ルイ大王のもと,カトリック一色のフランスとは何か」1686年)
*フランス王権(カトリック)がドラゴナードと呼ばれる軍隊を動員し,プロテスタントをカトリックへと強制的に改宗させたこと。
・・・まずユダヤ人だが,イタリアのように宗教裁判のある国でも,ユダヤ人には宗教的に寛容であるべしという確信をみな持っている。多くのプロテスタン卜国でもユダヤ人には宗教的に寛容であり,道理をわきまえた人なら誰でも,ポルトガルやスペインで見られるユダヤ人への扱いには嫌気がさしている。もちろん,ユダヤ人の側にも落ち度は多々ある。(中略)だが,その過ちは②スペイン人の残酷な法の弁解にはならないし,まして,その法の厳格な執行の弁解にはならない。次に③イスラーム教徒だが,彼らがユダヤ人以上に寛容に値しないとは思われない。反対に,ユダヤ人よりも寛容に値するのだ。なにしろ,イエス・キリストを大預言者と見なしているのだから。それゆえ,④ローマ法王がインド諸国へ宣教師を送るように,ムフティ〔イスラーム教の宗教的指導者〕がキリスト教圏へ宣教師を送る気を起こし,その宣教師がキリスト教徒の家々へしのび込んでイスラーム教への改宗を促しているのが見つかった場合でも,それを罰する権利がわれわれにあるとは思えない。もしも彼らが,⑤キリスト教の宣教師が日本で答えるのと同じように,つまり,私たちは,知らない人に真の宗教を知らせ,己の無知を嘆いている隣人の救いを図ろうという熱意から自分の知識のお裾分けをしに来たのです,と答えたとしよう。われわれがその答えに耳も貸さず,その言い分を聞きもせずに彼らを縛り首にしたとしたら,仮に日本人がキリスト教徒の宣教師に同じ振る舞いをしたとしても,われわれはそれを非難することはできないのではないだろうか。(「強いて入らしめよというイエス•キリストの言葉に関する哲学的註解」1686年)
(野沢協訳『寛容論集』法政大学出版局,1979年。ただし,表現を一部改めた)
問1
下線部①は,1598年にフランス王アンリ4世が発布した宗教寛容令を,ルイ14世が1685年に廃止した事実を指している。この寛容令は,カトリック,ユグノー(カルヴァン派)双方の信仰を容認することで,フランス国内の宗教内乱に終止符を打つ画期的なものであった。(イ)この寛容令の名称を答えなさい,また,(ロ)この寛容令の廃止がフランスおよび他のヨーロッパ諸国に及ぼした経済的影響について,100字以内で説明しなさい。その際,以下の語句を必ず使用し,用いた箇所すべてに下線を引きなさい。(15点)
ユグノー 商工業者 国内産業 産業の発展
問2
下線部②に関連して,とくに16〜17世紀の西ヨーロッパにおいて,「悪魔に魂を売った者」と疑われた人物(おもに女性)が宗教裁判にかけられ,火あぶりなどの極刑に処されるという事態が頻発した。この社会事象を何というか,答えなさい。(5点)
問3
下線部③に関連して,オスマン帝国は,フランスをはじめとする西ヨーロッパ諸国に対し,領事裁判権や身体•財産の安全等を保障する一種の特権を恩恵として与えた。当初は通商関係の発展を期したものであったが,18世紀以降になると西欧諸国に有利な不平等条約として利用され,侵略の足がかりとされた。この特権の名称を答えなさい。(5点)
問4
下線部④に関連して,ヨーロッパのキリスト教世界とインド・アジアとの異文化接触は,大航海時代以後のヨーロッパの海外進出とアジア貿易の展開のなかで生じたが,イギリス,オランダなどがインド・アジア貿易のために設立した通商組織を何というか。その名称を答えなさい。(5点)
問5
下線部⑤に関連して,宗教改革後のプロテスタントの台頭をうけて,カトリック教会は勢力の建て直しを図るが,この対抗宗教改革の一翼を担い,日本を含む世界各地へ宣教活動を繰り広げた宗教組織(1534年に結成)は何というか。(ハ)その組織の名称と,(ニ)創設者の名を答えなさい。(10点)