〔1〕
次の文章は,中国清末の革命家・アナーキストの劉師培(1884―1919)が,亡命先の東京で発行していた雑誌『天義』(1907年11月)に発表した論文「亜洲現勢論」の冒頭部分です。当時は,アジア各地の革命家・独立運動家が日本に亡命して東京に滞在しており,たがいに親交を深め,日本の社会主義者たちと交流を深めていました。この論文は,その動きのなかで書かれたものです。この文章を読んで,問に答えなさい。(60点)
現在の世界は強権の横行する世界であり,アジアは白人の強権が加えられている地域である。したがって白人の強権を排除しようと欲するならば,どうしても白人がアジアに加えている強権を排除しなければならない。試みに白人がアジアに加えている強権について略述すれば,次のごとくである。
1. イギリスのインドに対する強権
イギリスはインド人に対して,自由に法律を学ぶことを禁じ,高級官吏はすべてイギリス人をあて,下級官吏には時にはインド人を任命して,彼らの指揮下に駆使している。①集会,結社にも制限を設け,志士たちが新聞にイギリスの施政を非難した文章を書くと,ただちに逮捕投獄する。古代インドの偉大の事跡についても,インド人に教えることを禁じ,懐旧の念を起こさぬようにしている(たとえばインド古代のプリトヴィラージュという英傑は,蒙古人を駆逐してインドの伝統を復活した人であるが,最近,イギリス人が建てた諸学校では,インド史を教えるときに彼の事跡を抹消したうえ,謀反人であると称している。これはロシアがポーランド文字を廃止したのとほとんど変らない。以上は私が直接インド人の某君から聞いたことである)。
ボーア戦争にさいして,イギリスは自治の権利を餌にしてインド人をイギリスのために戦わせた。ところがボーアが敗北したあと,インドに自治権を与えることをしぶり,インド人のなかに憤激が高まってくると,兵力を動員してその反乱を抑えた。以上が最近インドが受けている苦しみである。
2. フランスのヴェトナムに対する強権
ヴェトナムが受けている虐政については,②ヴェトナム人某君の『ヴェトナム亡国史』に詳しく述べられているが,彼はさらに私にこう語ってくれた。
「あの本には,フランスの虐政について,ほんの概略をかいつまんで書いたにすぎない。現在では,フランスの苛政は日ましにその度を加え,ヴェトナム人の苦しみもまた日を追ってはなはだしくなっている。全国いたるところで人民の血が沃野を染め,その数ははかりしれぬほどである。フランス人はヴェトナム人を徴募して兵士にしているが,兵器や弾薬はあまり支給せず,屯営でも現地人とフランス人の営舎を分離している。ヴェトナム人の商工業は荒廃するにまかせ,ヴェトナムの生きる道を絶っている。さらに昔の科挙の害毒を利用して人民を愚民化し,たとえば学校でもすべてフランス人に服従することを中心に教育している。新聞社も設立されてはいるが,いずれもフランス人の監督下にあり,フランスに媚びへつらうことにたけた者を編集責任者に据えている。集会,出版は,いっさいフランス人の命令に従わねばならない。施行されている刑法はとりわけ残酷なもので,無実の罪で死ぬ者は数えきれない」と。
さらに彼は「強権の下にあって,わが国人民は,みなまさに惨死に瀕している」ともいっている。この彼の言葉からすれば,その人民の悲哀と苦痛はいかばかりであろうか。以上が最近ヴェトナムが受けている苦しみである。
3. 日本の朝鮮に対する強権
日本は朝鮮に対して,その国王を退位させ,軍隊を解散し,すべての官府に日本人官吏を加えて,自国の権益を拡張した。義軍に対する残虐な殺戮のニュースは毎日のように伝えられているし,また暴徒であるとして自強会を厳重に禁圧している。全国いたるところに日本人警官が配置され,とくに結社を禁じ,信書の自由まで侵している。しかも東京に留学している朝鮮人学生に対する酷薄な処遇,厳重な取締りは,まるで囚人と変わりがない。朝鮮人某君の言によれば,朝鮮は有史以来,モンゴル族の虐待を経験したとはいえ,③現在の日本ほどひどいものはかつてなかったというが,まさにそのとおりである。以上が最近朝鮮が受けている苦しみである。
4. アメリカのフィリピンに対する強権
アメリカはフィリピンを支配するにあたって,議員を選挙する権利を与えて自治の名目だけは整えているが,フィリピン人自身の言によれば,④いっさいの統治権はすべてアメリカ人総督の手に握られている。またフィリピン人の生計は,アメリカ人よりはるかに下回っているにもかかわらず,税金はアメリカ人と同じである。他国に移住したフィリピン人が結社を設けたり出版したりすると,それにもアメリカの厳しい監視が加えられる。以上が最近フィリピンの受けている苦しみである。
これらのほか,ビルマはイギリスに滅ぼされ,シャム〔タイ〕はフランスに領土を削られた。ペルシアは英,露両国にねらわれ,イギリスはその南部を,ロシアはその北部を侵し,鉄道,銀行の支配権はすべて両国に握られている。中国もまた列国の競争の場となっている。ロシアは北満州を占拠し,イギリスはチベットを侵し,ドイツは山東を,フランスは雲南,広東をねらっている。最近では,鉄道,鉱山,航運の半ばが白人のものとなった。日本もまたこの機会を利用して南満州を占拠し,福建をねらって勢力範囲を拡張しようとしている。中国瓜分〔分割〕の禍いはまさに目前に迫っており,このままゆけば北アジアはすべてロシアのもの,西南の諸港は半ばイギリスのものとなるであろう。このように,現在のアジアの全地域が白人の強権を受けていることは,何の疑いもないところである。
しかしながら最近のアジアの情勢を見ると,弱小民族がいずれも憐れむべき衰亡に沈んでいるなかにあって,ただ日本政府だけはアジア共通の敵となっている。現在白人諸国はアジア植民地の反乱を恐れる一方,日本がそれを併呑することを恐れている。そこで日本の軍事力を利用して,自国のアジア植民地を制圧しようと謀った。たとえば日英同盟はイギリスが日本と連合してインドの死命を制するためのものである。また,日仏,日露の両協約は,フランス,ロシアが日本と連合して中国を瓜分しようとする前触れであり,それはちょうど英露協約がペルシア瓜分の伏線だったのと同じである。⑤けだし列強は日本の手を借りてアジアにおける勢力を強固にしようと謀り,日本も列強と連合して対インド,対コーチシナ貿易を拡張し,それによって朝鮮,南満州における実権を維持強化しようと謀っているのである。さらに最近ではアメリカと対立して,フィリピンを併呑しようと望んでいる(たとえば,昨年アメリカがフィリピンを日本に割譲するという噂があったが,最近アメリカはフィリピンにおける陸軍の増強を計画している)。このように,日本はアジアにおいてひとり朝鮮の敵であるばかりではなく,インド,ヴェトナム,中国,フィリピンの共通の敵となっているのである。朝鮮が〔ハーグの万国平和会議に〕密使を派遣するや,各国の新聞はこれを激しく非難した。また日本の大隈〔重信〕伯爵はインド人に向かって,イギリス人に服従してまじめに働けと演説した。強権を逞しうして公理を隠滅すること,これより甚だしきはない。
したがって,アジアの平和を守り,アジアの弱小民族の独立を図るならば,白人の強権を排除すべきはもちろん,日本の強権によってわがアジア人を虐げることをも同時に排除しなければならない。けだし帝国主義こそが現代世界の害虫だからである。
(西順蔵編,丸山松幸訳『原典中国近代思想史』第3冊,岩波書店,1977年,より。)
問1
下線部①について,(イ)1885年に創設され,インド民族運動の中核を担った政治団体は何か。その名称を答えなさい。(ロ)また,南アフリカにおけるインド人の権利擁護で活躍し,インドに帰ってその政治団体の指導者になった人物は誰か。その名前を答えなさい。(10点)
問2
下線部②について,(ハ)『ヴェトナム亡国史』の著者である「某君」とは誰のことか。その名前を答えなさい。(ニ)また,その人物が中心となって日露戦争後の日本に留学生を送った運動を何と呼ぶか。その名称を答えなさい。(10点)
問3
下線部③について,(ホ)当時の日本が朝鮮支配を強化し外交を監督するために設置した機関は何か。その名称を答えなさい。(ヘ)また,その初代の長となり,後に朝鮮人青年に暗殺された人物は誰か。その名前を答えなさい。(10点)
問4
下線部④について,(ト)アメリカ合衆国がフィリピンの領有権を獲得した戦争は何か。その名称を答えなさい。(チ)また,その戦争に際してはアメリカ側に協力しながら,戦後はアメリカの植民地支配に抵抗した人物は誰か。その名前を答えなさい。(10点)
問5
下線部⑤に関連して,日英同盟の締結から破棄にいたるまでの過程を,国際秩序の変化をふまえながら400字以内で説明しなさい。その際,以下の語句を必ず用い,用いた箇所に下線を引きなさい。(20点)
ロシア アメリカ合衆国 第一次世界大戦
ワシントン会議 二十一ヵ条要求
〔2〕
次の文章を読んで,問に答えなさい。
1980年代半ば,ヨーロッパはいまだ戦後の延長上にあった。東西両陣営の対立はなおも続くように思われ,急激な変化を予想する人は少なかった。スターリンから受け継がれた「ソヴィエト帝国」は,①第二次世界大戦の終結した後40年の間に社会主義陣営を襲った幾多の危機にもかかわらず存続していた。だがソヴィエト連邦が分裂崩壊するのに,数年もあれば十分であることがまもなく明らかになる。1989年11月,ヨーロッパの東西分断の象徴であるベルリンの壁が開放された。
②ミハイル・ゴルバチョフは,東側ブロックの諸国民に自らの運命を自由に選ばせることにした。そうすることで,ソ連の肩にのしかかる「帝国主義」の重荷を軽減し,社会主義の祖国を再建しようとしたのである。だが現実には,衝撃はあまりに激しく,ソ連はその「帝国」の終焉を迎えることになる。
西欧人にとって,冷戦終結後のヨーロッパは不安に満ちていた。社会主義陣営の崩壊とともに,1945年の③ヤルタ協定によって画された国境線が廃され,大陸に新たな政治地図が描き直された。中欧では,統一ドイツが大国と目されるようになった。④東欧では,何が起こっても不思議はなかった。時には最悪の事態が生じ,1991年以降,⑤旧ユーゴスラヴィアは凄惨な戦争に引き裂かれた。
東欧を含めヨーロッパ大陸の安定を確かなものにするには,ヨーロッパ統合を促進する以外に道はないように思われた。しかし,長引く経済不況に諸国民は懐疑を抱き始めた。ヨーロッパという概念は,長い間エリート指導層の概念であった。エリート指導層は経済・社会問題を解決しうる能力を示せず,もはや民衆に信頼感を抱かれなくなっていた。そのような時代にあって,西ヨーロッパ諸国民は,1992年に結ばれた⑥マーストリヒト条約を歓呼の声では迎えなかった。経済通貨同盟(EMU)を成立させるために,この条約は,厳しい緊縮財政と賃金政策を前提にしていたからである。
(フレデリック・ドルーシュ総合編集,木村尚三郎監修,花上克己訳『ヨーロッパの歴史―欧州共通教科書』,東京書籍1998年刊,原著1997年刊,より。表現は一部変えてある。)
問1
下線部①にいう「社会主義陣営を襲った幾多の危機」として具体的にはどのようなことがあったのか。2つの例をあげて150字以内で説明しなさい。(15点)
問2
下線部②の人物がソ連において着手した政治・社会体制の全面的改革を何と称したか。その名称を答えなさい。(4点)
問3
下線部③の協定を結んだ3国の首脳の名前をすべて答えなさい。(9点)
問4
下線部④について,1989年に反体制・民主化運動が起こり,それまで大統領だった人物が処刑された国の名前を答えなさい。(4点)
問5
下線部⑤中の戦争によって生まれた新ユーゴスラヴィア連邦では,国内の自治州でアルバニア人が分離独立をはかったのに対し,政府が武力弾圧を行なった。この自治州の名前を答えなさい。(4点)
問6
下線部⑥の条約の結果発足した組織は,一部の加盟国を除き,1999年に域内の通貨統合を実現した。この統一通貨の名称を答えなさい。(4点)