大阪大学 2009年度 世界史過去問

世界史

Ⅰ 次の文章を読み、あとの問いに答えなさい。

 中国の歴史動向を捉えるにあたっては、二つの南北関係を考える必要がある。すなわち華北と華中・華南との南北関係だけでなく、そうした華北~華南の地域と、その北方に位置する遊牧・狩猟民との南北関係をあわせ見なければならない。とりわけ一〇世紀以降、本拠地を保持したまま華北方面に勢力を及ぼしてゆく①遊牧・狩猟民が次第に台頭したことは、後者の南北関係にとって重要な画期となったが、他方でそれまで優勢であったトルコ系遊牧民は南方および②西方へ移動した。この移動は、その後の中央アジアや西アジアの政治・社会・文化に大きな影響を与えることになった。

問一
 中国(華北~華南)における経済的中心地の移動について、七世紀から一四世紀にいたる期間を対象に、左の用語をすべて使用しながら説明しなさい(一八〇字程度)。

大運河   江南   ムスリム商人   稲作   海運

問二
 傍線部①の遊牧・狩猟民のひとつが建て、一二世紀に華北のほぼ全域を直接支配した国家は何か。またその統治下の華北における宗教事情について説明しなさい(四〇字程度)。

問三
 傍線部②の移動を契機として、移動先となった中央アジアの言語と宗教は大きく変化した。現在の中央アジアの言語・宗教状況につながるそれらの変化がどのようなものだったか説明しなさい(八〇字程度)。

Ⅱ 一九四八年九月九日、前年ベルリン市長に選出されたエルンスト・ロイターは、旧国会議事堂前に参集した群衆を前に演説をおこなった。次に掲げる演説文の一節を読み、一九四七~四九年のヨーロッパを舞台とした国際政治の情勢を説明しなさい(三〇〇字程度)。

 ・・・・・・いまここにいる数十万のベルリン市民が立ち上がれば、全世界がベルリンに目を向けよう。そうすれば将軍たちや政治家たちはもはや交渉の主導権を握れまい。そこには自由な民衆の意志がある。民衆は、ここベルリンに自由の砦が築かれ、ベルリンが自由の最前線になることを十分に心得ているのだ。・・・・・・世界の人々よ。アメリカの、イギリスの、フランスの、そしてイタリアの人々よ。この町を見たまえ。あなたがたはこの町とこの住民を見捨ててはいけない!見捨てることはできないのである。

Ⅲ 人類史上、政治・経済・環境などさまざまな要因の連鎖により、広い範囲に危機がおよんだ時代が何回もあった。これについて、以下の問いに答えなさい。

問一
 ユーラシアの多くの地域が一四世紀に戦乱、伝染病などによる大きな混乱を経験した。その原因は、第一に北半球の気候の寒冷化による農業生産力の低下、第二にモンゴル帝国時代の交流の活発化がかえって危機の拡大を招いたことなどにあると考えられている。では、どの地域がどんな混乱に襲われたか、日本列島を含む三つ以上の地域の例をあげて説明しなさい。解答には以下の用語をすべて用いること(一二〇字程度)。

倭寇   紅巾の乱   黒死病

問二
 一四五〇年代から続いた景気拡大が一六二〇年ごろストップしたヨーロッパは、その後一七世紀末まで、一部の例外はあるものの、「一七世紀の全般的危機」の中で混乱が続いた。好景気や人口増加の結果生じた環境破壊と、過剰な銀の流通による貨幣価値の混乱などを背景とするこの危機は全世界的なもので、王朝交替にともなう長期間の混乱や一七世紀後半に始まる大帝国の衰退などアジア各地域の動きも、少しずつタイミングはずれているものの、この巨大な危機の一環をなすものだったという説が最近登場して論争をよんだ。では、一七世紀のヨーロッパとアジアの主要国・地域でどんな混乱や衰退がおこったか、細かい年代にはこだわらずに、代表的な例をあげて説明しなさい。解答には以下の用語をすべて用いること(二五〇字程度)。

三十年戦争   ピューリタン革命   ユグノー   第二次ウィーン包囲
アウラングゼーブ   鄭氏(台湾)

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