Ⅰ ユーラシア大陸は、人間集団の移動とそれに伴う衝突・融合を繰り返しながら、その歴史を育んできた。なかでも、①四世紀~七世紀、②九世紀~十一世紀、③十三世紀、④十六世紀以降の各時期には、いずれもユーラシア大陸の歴史動向に大きな影響を与える人間集団の移動が引き起こされている。これについて、以下の問いに答えなさい。
問一
現在、中国の首都は北京に置かれている。中国を統一した政権の都として北京の地が選ばれてゆくのは、①~④のいずれの時期から始まるか、その番号を解答欄(ア)に記入しなさい。つぎに、これと同時期に西アジアで起こった大きな政治的変化について、解答欄(イ)を用いて述べなさい(五十字程度)。
問二
鮮卑族と契丹族は、①~④のいずれの時期に大きく活躍したか、その番号を鮮卑族は解答欄(ア)に、契丹族は解答欄(イ)にそれぞれ記入しなさい。また、その二つの時期にあらたに中国を統一した王朝をくらべると、政治面だけでなく、軍事面でも、大きくその性格が変化している。軍事面ではこの間どのような変化が見られたのか、解答欄(ウ)を用いて述べなさい(一〇〇字程度)。
Ⅱ 次の文章は、アイスキュロス『ペルサイ』からの引用である。彼は、自らも従軍したペルシアとの海戦を題材として、この悲劇を書いている。これについて以下の問いに答えなさい。
アシア(注)の大地に生きる者は、もはや(1)ペルシアの支配を望まず、これからは領民の義務にも縛られず、年貢を納めることもない。地にひれ伏して恐れ戦(おのの)くこともない・・・(2)人々の饒舌(おしゃべり)を取り締まることも、もうできない。力の軛(くびき)から自由になったからには、民衆は解放され、思うままに語り始めるのだから。
(西村良太訳、『ギリシア悲劇全周二』所収、一部改変)
(注) 小アジアのこと。
問一
この戦い以降も、ペルシアの存在は、ギリシア内部の国家間関係に影響を与え続けた。これについて、傍線部(1)の王朝の滅亡までを視野に入れて論じなさい(一五〇字程度)。
問二
傍線部(1)の王朝支配下において、(ア)行政区ごとに軍民双方の支配権を掌握していた王の代理人の名称を書きなさい。(イ)また、この王の代理人を監視するために派遣された役職の名称を書きなさい。
問三
傍線部(2)にもかかわらず、ギリシアでは発言に政治的責任が伴った。アテネで思想上の理由から告訴された人物を一人挙げなさい。
Ⅲ 次の会話を読み、あとの問いに答えなさい。
A(高校生)「東南アジアはなじみが薄いので覚えられなくて困ってるんですが…」
B(先輩の大学生)「私のおすすめは、日本との関係や共通性も注目してみる方法ね。」
A「そういえば親戚に、戦前にフランス人男性と結婚してベトナムに住んでいたけど、ジュネーブ休戦協定のときにフランスに行ってしまったおばさんがいる、という話を聞いたことがあります。でも、こういう現代史がらみの話だと、日本もヨーロッパもみんなつながってきて頭に入るんですが、ややこしい国名や王朝名が並んでいるだけの古い時代が苦手なんです。古い時代にも、日本との関係や共通点なんてありましたっけ?」
B「大ありよ。たとえば江戸時代初期の朱印船や日本町の話は、中学校でも習ったでしょ。それから、お寺でも神社にもお参りするしクリスマスや結婚式は教会で、みたいな宗教的重層性日本だけじゃないのよ。ミャンマーの宗教といえば( 1 )だけど、その寺院に行ったら、境内に必ずナットという土着の神様をまつるほこらがあるわ。( 2 )信者が世界一多いインドネシアのジャワ島では、( 2 )はアダットと呼ばれる各地の慣習と共存してるし、おまけに観光名所は( 3 )のボロブドゥール、伝統舞踏や影絵芝居の定番は( 4 )の世界を描いた『ラーマーヤナ』という調子なのよ。」
問一
右の文中( 1 )~( 4 )にはいずれも宗教の名称が当てはまる。それぞれ相異なる名称を書きなさい。
問二
フランスのインドシナ植民地支配に終止符を打ったジュネーブ休戦協定がベトナムの南北分断につながった経緯を説明しなさい(八〇字程度)。
問三
インドシナからの撤退と同じころ、フランスにとって大きな問題だったのがアルジェリアである。アルジェリア問題がフランス国内にもたらした影響を説明しなさい(一二〇字程度)。
問四
朱印船のおもな渡航先は東南アジア各地と台湾で、とくにベトナム、シャム(タイ)、ルソン(フィリピン)などが上位を占めた。なぜ伝統的に最大の貿易相手だった中国大陸ではなく東南アジア・台湾に渡航したのか、またベトナム、シャム、ルソン三地域は当時どのような情勢だったかの二つの問題を説明しなさい(一八〇字程度)。