Ⅰ 地図1は、一二世紀後半のアジア東部の国々を図示したものである。地図1を参照して、次の問いに答えなさい。
問一
記号Aの地域を統治していた国の名を書きなさい。
問二
記号Bの地域を統治していた国について、①国名、主要な民族名、建国者名、②国内統治の方法、③Dの国との国際関係、④Dの国から流入する物品、以上の項目を必ず含めて説明しなさい(一二〇字程度)。
問三
記号Cの地域を統治していた国について、①国名、主要な民族名、建国者名、②Dの前身となった国との国際関係、③同じくDの前身となった国から流入する物品、以上の項目を必ず含めて説明しなさい(一〇〇字程度)。
問四
記号Eの地域は、南越国の滅亡後、長く中国王朝の統治下におかれたすえに独立した。中国王朝の統治下にあった機関の始期と終期について、それぞれを世紀と中国の時代名とで答えなさい。
問五
記号E・Fの地域は、一九世紀になると外国の侵略に直面する。この地域に一九世紀に存在した国々のうち、どの国が、どこの国の何と呼ばれる植民地になったか、また独立を維持したのはどの国であったかについて述べなさい(六〇字程度)。
Ⅱ 次の文を読んで以下の問いに答えなさい。
地中海は古代より通商上の要地であり、東西諸文明の交錯点であった。いったんはローマ人が「われらの海」地中海全域を支配した。だが、西ローマ帝国の滅亡を経て、やがて西方キリスト教世界にとって地中海は閉じられた海になってしまう。
問一
傍線部について、ローマ帝国が地中海世界の政治的統一を完成させた戦いの名称を書きなさい。
問二
一一世紀~一三世紀の地中海とその周辺部における西方キリスト教世界の拡大について述べなさい(二〇〇字程度)。
Ⅲ 二〇世紀後半の現代史は、米ソ両国が対立した「冷戦(冷たい戦争)」の構造で特徴づけられてきた。その冷戦構造に対抗して、一九五五年四月にインドネシアのバンドンで第一回アジア=アフリカ会議(バンドン会議)が開催された。二〇〇五年は、ちょうどその五〇周年であった。
では、このバンドン会議でかかげられた理念は、その後のアジア・アフリカ諸地域で、どのように実現されたのか、また、今日、課題として何が残されているのであろうか。経済面にも留意しながら説明しなさい(二五〇字程度)。