東京大学 2011年度 世界史過去問

世界史

第1問

 歴史上、異なる文化間の接触や交流は、ときに軋轢を伴うこともあったが、文化や生活様式の多様化や変容に大きく貢献してきた。たとえば7世紀以降にアラブ・イスラーム文化圏が拡大するなかでも、新たな支配領域や周辺の他地域から異なる文化が受け入れられ、発展していった。そして、そこで育まれたものは、さらに他地域へ影響を及ぼしていった。

 13世紀までにアラブ・イスラーム文化圏をめぐって生じたそれらの動きを、解答欄(イ)に17行以内で論じなさい。その際に、次の8つの語句を必ず一度は用い、その語句に下線を付しなさい。

 インド 医学 アッバース朝 イブン=シーナ一

 代数学 トレド シチリア島 アリストテレス

第2問

 歴史上、帝国と呼ばれた国家は、多民族、多人種、多宗教を包摂する大きな領域をその版図におさめている場合が多かった。それらの国家の繁栄と衰退、差異や共通性、内外の諸関係について、次の3つの設問に答えなさい。解答は、解答欄(ロ)を用い、設問ごとに行を改め、冒頭に(1)~(3)の番号を付して記しなさい。

問(1) ローマはテヴェレ川のほとりに建設された都市国家にすぎなかったが、紀元前6世紀に、エトルリア人の王を追放して共和政となった。その後、周辺の都市国家を征服してイタリア半島全体を支配し、やがて地中海世界を手中におさめる大帝国となった。ローマが帝政に移行する紀元前後からおよそ200年にわたる時期はパクス=ローマーナとたたえられ平和が維持された。以下の(a)・(b)の問いに、冒頭に(a)・(b)を付して答えなさい。

 (a) ローマの平和と繁栄を示す都市生活を支えていた公共施設について、2行以内で説明しなさい。

 (b) ローマの市民権の拡大について2行以内で説明しなさい。

問(2) 中国の歴代王朝は、周辺諸国との間で儀礼に基づく冊封や朝貢といった関係をもった。しかし、その制度や実態は、王朝ごとに、また相手に応じて、多様であった。とりわけ対外貿易と朝貢との関係には、顕著な変化が見られる。明から清の前期(17世紀末まで)にかけて、対外貿易と朝貢との関係がどのように変化したかについて、海禁政策に着目しながら、4行以内で説明しなさい。

問(3) 1898年に勃発したアメリカ・スペイン戦争をきっかけとして、アメリカ合衆国は、(a)モンロー宣言によって定式化された従来の対外政策を脱し、より積極的な対外政策を追求しはじめた。とりわけこの戦争の舞台となったカリブ海や西太平洋、そして中国においては、戦後、(b)アメリカ合衆国の影響力が飛躍的に高まり、帝国主義列強間の力関係にも大きな変化がもたらされた。下線部(a)・(b)に対応する以下の問いに、冒頭に(a)・(b)を付して答えなさい。

 (a) この宣言の内容を、2行以内で説明しなさい。

 (b) この戦争後におけるアメリカ合衆国の対中国政策の特徴を、3行以内で説明しなさい。

第3問

 火を自由にあつかえるようになると、人類は調理を知り、さまざまな食糧を手に入れることになった。食生活が安定するとともに、人類の生活圏は拡大していく。これに関連して、以下の設問(1)~(10)に答えなさい。解答は、解答欄(ハ)を用い、設問ごとに行を改め、冒頭に(1)~(10)の番号を付して記しなさい。

問(1) 麦作は乾燥した西アジアで、始まった。この麦を水に浸して発芽させたものからビールができることはすでにシュメール人もエジプト人も知っていたという。大河のほとりにあるために灌漑施設をめぐらし、豊かな穀物生産にもとづく文明は、文字を発明したことでも名高い。それぞれの文字名を記しなさい。

問(2) 漢の武帝は内政の充実とともに、西域などへの対外遠征にも積極的であった。そのために軍事費がかさみ、それをまかなうために鉄などを専売品とした。このとき専売品とされた飲食物が2つあるが、それぞれの名称を記しなさい。

問(3) ワイン生産のもとになる葡萄の栽培は、ローマ帝国の拡大とともに北上したという。その北限をなすライン・ドナウ両河の北側一帯には古くからゲルマン系の諸族が住んでいた。それらのなかで帝国内を蹂躙し、やがて5世紀になると北アフリカに王国を建てた部族がいる。この部族名を記しなさい。

問(4) 11世紀後半から、西ヨーロッパでは森林や荒野の開墾が進み、農法も改良されて、収穫は播種量の3倍から6倍ほどに上昇した。生産高に余剰が生まれ、それらが取引される交易拠点には都市が目立ってくる。やがて、これらの都市は領主に対して自治を主張するようになった。このことを讃える名高い格言があるが、それを記しなさい。

問(5) マレ一半島に興ったマラッカ王国は、15世紀には東西貿易の中継地として栄えた。ジャワ商人などによってマラッカに運ばれたジャワやモルッカ諸島の産物の中で、当時の需要の増大によってヨーロッパ向けにも輸出された国際商品は何か。その名称を記しなさい。

問(6) 15世紀末以前のアメリカ大陸では麦や米の栽培は知られていなかったが、独自の農耕技術にもとづいて、ほかの作物が栽培されていた。それらは、以後、世界中に広まり、人口の増大にも寄与している。これらの作物名を2つ記しなさい。

問(7) 16世紀初頭にマラッカを占領した国は、ラテンアメリカに大きな領土を有し、そこで黒人奴隷を導入して大規模なサトウキビのプランテーション栽培をしたことでも知られている。この国名およびそのラテンアメリカの領土名を記しなさい。

問(8) ビルマは19世紀後半以降のエーヤーワディ一川のデルタ地帯の開発で、世界有数の米の輸出地となった。ビルマの最後の王朝となったコンバウン朝についての次の①~④の文章のうち誤りを含むものの番号を1つ記しなさい。

 1) 18世紀に成立した。

 2) シャムに攻め込んでアユタヤ朝を滅ぼした。

 3) イギリスとの間で三次にわたる戦争を戦った。

 4) イギリスの植民地支配下で1947年まで存続した。

問(9) 酒を楽しむ歴史は長いが、飲酒を禁止したり制限したりする試みも、古くから繰り返されてきた。ドイツでは、1933年に政権を握ったナチスのもとで断種法が制定され、慢性アルコール依存症患者も、強制的な不妊手術の対象に入れられた。こうした優生学的発想はこの政党の政権が第二次世界大戦の時期にかけて展開した、ユダヤ人などの大量殺戮にもつながった。この大量殺戮は何と呼ばれているかを記しなさい。

問(10) ベトナムは、第二次世界大戦以前には、世界有数の米輸出地だったが、大戦後は戦乱のため米作が停滞し一時は食糧輸入国になった。ベトナムが米輸出国の地位を回復するのは1989年からであり、これは1986年にはじまる改革の成果とみなされている。このベトナムの改革は何と呼ばれているかを記しなさい。

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