第1問
ヨーロッパ列強により植民地化されたアジア・アフリカの諸地域では、20世紀にはいると民族主義(国民主義)の運動が高まり、第一次世界大戦後、ついで第二次世界大戦後に、その多くが独立を達成する。しかしその後も旧宗主国(旧植民地本国)への経済的従属や、同化政策のもたらした旧宗主国との文化的結びつき、また旧植民地からの移民増加による旧宗主国内の社会問題など、植民地主義の遺産は、現在まで長い影を落としている。植民地独立の過程とその後の展開は、ヨーロッパ諸国それぞれの植民地政策の差異に加えて、社会主義や宗教運動などの影響も受けつつ、地域により異なる様相を呈する。
以上の点に留意し、地域ごとの差異を考えながら、アジア・アフリカにおける植民地独立の過程とその後の動向を論じなさい。解答は解答欄(イ)に18行以内で記し、必ず次の8つの語句を一度は用いて、その語句に下線を付しなさい。
カシミール紛争 ディエンビエンフー スエズ運河国有化
アルジェリア戦争 ワフド党 ドイモイ
非暴力・不服従 宗教的標章法(注)
(注) 2004年3月にフランスで制定された法律。「宗教シンボル禁止法」とも呼ばれ、公立学校におけるムスリム女性のスカーフ着用禁止が、国際的な論議の対象になった。
第2問
人類の歴史のなかで、遊牧は農耕とならぶ重要な生活様式のひとつであった。遊牧民、とりわけ軍事力や機動力にすぐれた遊牧民の集団は、広域にわたる遊牧国家の建設や周辺の農耕・定住地域への侵入、大規模な移動などによって大きな役割をはたした。これをふまえて、以下の設問に答えなさい。解答は、解答欄(ロ)を用い、設問ごとに行を改め、冒頭に(1)~(3)の番号を付して記しなさい。
問(1) 中央ユーラシアの草原地帯に出現した遊牧民のなかでも、4世紀になるとフン族が西進し、それとともにユーラシア西部に大変動がおこっている。やがて、5世紀後半には遊牧民エフタルが台頭し、周辺の大国をおびやかした。以下の(a)・(b)の問いに、冒頭に(a)・(b)を付して答えなさい。
(a) 5世紀におけるフン族の最盛期とその後について2行以内で説明しなさい。
(b) エフタルに苦しめられた西アジアの大国を中心とした6世紀半ばの情勢について、2行以内で説明しなさい。
問(2) 中央ユーラシアを横断する大草原に住む遊牧トルコ人は、イスラーム世界の拡大とともにこれとさまざまな関係をもつようになり、その一部はやがて西アジアに進出して政権を樹立しアラブ人やイラン人とならんで重要な役割をはたすことになった。以下の(剖・(b)の問いに冒頭に(a)・(b)を付して答えなさい。
(a) 9世紀ごろになると、アッバース朝カリフの周辺にはトルコ人の姿が目立つようになった。彼らはアラビア語で何とよばれカリフは彼らをどのように用いたのか、2行以内で説明しなさい。
(b) 中央ユーラシアから西アジアに進出したトルコ人が建てた最初の王朝の名(1)と、この王朝が支持した宗派の名(2)を、冒頭に(1)・(2)を付して記しなさい。
問(3) 匈奴以来、モンゴル高原にはしばしば強力な遊牧国家が誕生し、中国の脅威となった。あるものは長城を境にして中国と対峙し、あるものは長城を越えて支配を及ぼすなど、遊牧民族の動静は、中国の歴史に大きな影響を与えつづけた。以下の(a)・(b)の問いに、冒頭に(a)・(b)を付して答えなさい。
(a) 漢の武帝の対匈奴政策と西域政策とのかかわりについて、2行以内で説明しなさい。
(b) 15世紀なかごろにはモンゴルのある部族が明の皇帝を捕虜とする事件がおこった。この部族の名(1)と事件の名(2)を、冒頭に(1)・(2)を付して記しなさい。
第3問
さまざまな時代に造られた建築や建造物のなかには、現在、世界の観光資源として非常に重要なものがある。しかもそれらは、それらを擁する国家や都市の歴史の雄弁な証言者となっている。この点をふまえて、以下の質問に答えなさい。解答は、解答欄(ハ)を用い、設問ごとに行を改め、冒頭に(1)~(10)の番号を付して記しなさい。
問(1) アテネの軍事上の拠点であったアクロポリスには、紀元前5世紀、ペリクレスの命でポリスの守護神であるアテナ女神を記るパルテノン神殿が建てられた。この神殿の建築様式は何か、様式名を記しなさい。
問(2) 8世紀ごろの東南アジアにおいて仏教が盛んだったことを示す遺跡として、ボロブドゥール寺院があげられる。ボロブドゥール寺院がある場所はどこか、今日の島名を記しなさい。
問(3) 前近代のヨーロッパでは時代ごとにある特定の建築様式がほぼ全域にわたって広まった。人里離れた修道院によく見られる、小さな窓、重厚な壁、高度の象徴性を特徴とする建築を何様式と呼ぶか、様式名を記しなさい。
問(4) アンデス山中に威容を誇るマチュピチュはインカ帝国を代表する遺跡だが、この帝国は16世紀にスペイン人征服者ピサロによって滅ぼされた。征服が行われたとき、スペインを統治していた国王の名前を記しなさい。
問(5) 明と清の宮殿だった紫禁城は、今日では故宮博物院として参観客に開放されている。明ははじめ金陵(南京)を都としていたが、1421年に北京に遷都した。このときの皇帝は誰か、名前を記しなさい。
問(6) グラナダにあるアルハンブラ宮殿はイベリア半島最後のイスラーム王朝の時代に建設された。1492年、スペイン王国によって攻略されたこの王朝名を記しなさい。
問(7) ヴェルサイユ宮殿は絶対王政期の国王の権威を象徴する豪華絢爛な宮殿である。18世紀にプロイセンのフリードリヒ大王がヴェルサイユ宮殿を模倣してポツダムに造らせた宮殿の名称を記しなさい。
問(8) アフリカ南部にあるジンバブエ共和国の国名はそこに残る石造建築物に由来しているが、以前には、イギリス人の名前にちなんだ国名だった。19世紀末にケープ植民地首相を務めたそのイギリス人の名前を記しなさい。
問(9) 広島の原爆ドームは核兵器の惨禍という記憶を留めるための重要な史跡である。広島への原爆投下の前月、米・英・ソの三国会談に参加し、その後に原爆投下を指示したアメリカ合衆国大統領の名前を記しなさい。
問(10) 1973年チリでピノチェト将軍によるクーデタがおき、かつて造幣所だったため「モネダ(貨幣)宮」と呼ばれていた大統領府が攻撃されて、社会主義政権を率いていた大統領が死亡した。この大統領の名前を記しなさい。